「手紙が欲しいな」
棋院からの帰り道、唐突にぽつりとアキラに言われてヒカルは思わず聞き返した。
「手紙? なんで?」
「そういえばキミからメールを貰ったことはあっても手紙を貰ったことは無いなと思って」「年賀状出してんじゃん」
「ああいう時候の挨拶みたいな物じゃなくてキミの気持ちが書いてある物が欲しい」
「気持ちって…」
最初意味が解らなくてぽかんとした顔をしていたヒカルは、やがてアキラの言わんとしていることに気がついて体が熱くなるのを感じた。
「え? それって、えーと」
ラブレターとは、いくらなんでも恥ずかしすぎて言えない。
アキラもまた言い出しておいてはっきり口にすることは出来ないらしくそれ以上は言わなかった。
「無理ならいい」
「でも欲しいんだろ」
「そうだね。何か…形があるものが一つくらいあってもいいかなと思ったから」
恋人同士になってもう何年も経つけれど、そういえばその証しとなるようなものは何一つ無かった。
ヒカルとしてはいつか指輪くらいはと思っていたが、アキラはもっと単純で、でもヒカルから自分への『気持ち』が解りやすく籠もっている物を欲しがっていたらしい。
「…いいよ。書くよ」
「本当に?」
「その代わり文句言うなよ。おれは字は下手だし文章書くの得意じゃないから」
絶対に長くは書けないし、もしかしたら漢字の間違いがあるかもしれない。
それでも文句を言うなよとヒカルは拗ねた子どものように何度も繰り返してアキラに言った。
「構わない。楽しみに待っているよ」
そして数日後、ヒカルはアキラに一通の手紙を手渡した。
「もう無理、これが精一杯」
怒ったようにアキラに言うと絶対に家に帰ってから見ろよと念を押して去って行った。
アキラは最初ヒカルの言った通り家に帰ってから見るつもりで居た。
けれどどうしても何が書かれているのか気になって、ヒカルの姿が消えるや否や人気の無い棋院の階段に移動してそっと封筒を開けてしまった。
ヒカルらしい勢いのある字で宛名の書かれた真っ白い封筒の中には、これもまた同じく目の覚めるような白い便せんが一枚納められていた。
それに右肩上がりでひとこと。
『好き』
呆気無い程の短い言葉はよく見ると線がぶつぶつと途切れている。
何故だろうと思いながらよくよく便せんを見つめたアキラは無数の消し跡に気がついた。
恐らく何度も書いては消してを繰り返したのだろう、紙が毛羽立ちくっきりと跡が残ってしまっているのである。
線の途切れはそれに文字が当たったからだった。
実際ヒカルは文を書くのが苦手だった。はっきり嫌いだと公言している程で、頼まれた雑誌や新聞のコメントなどはいつもしかめっ面で締め切りを相当過ぎてから出していた。
(ものすごく苦労して書いてくれたんだろうな)
気まぐれに付き合わせてしまったことをアキラは申し訳無く思ったけれど、ヒカルの気持ちが素直に嬉しかった。
予想していた以上の物を貰ってしまったと胸の奥底が熱くなった。
「…ありがとう」
ぽつりと呟いた時、気配がしてアキラは顔を上げた。
去って行ったはずのヒカルがそこに居て、手紙を読んでいる自分を心配そうにじっと見つめていたのだった。
「ばっ」
視線に気がついたヒカルが一気に顔を赤くする。
「バカ、嘘つき、卑怯もん! 言った側から約束破ってんじゃねーよ」
おれは家に帰ってから読めって言っただろうとびっくりするほど大きな声で怒鳴って逃げるように駆けて行ってしまった。
「…進藤」
アキラがヒカルの言葉を家まで我慢出来なかったように、ヒカルもまた自分の書いた手紙にアキラがどう反応するのか確かめずにはいられなかったのだ。
「あ、ごめん――」
反射的に言いかけたアキラは手の中にあるヒカルの手紙を見て表情を引き締めた。
(ごめんじゃないよね)
こんな素晴らしい物を貰ったのにそれに返す言葉が謝罪ではならない。
アキラは同等の物を返すために深呼吸を一つすると改めてヒカルを追いかけたのだった。
========================
よくあるような話ですみません。『愛してる』とは書けないんですよね。恥ずかしくて。『お前が』も恥ずかしくてつけられない。あれがヒカルの精一杯です。
|