「おまえおれのこと好きだろう」
それがヒカルの第一声だった。
「だったらおれに抱かせてよ」
そしてそれが第二声。
ダメだろう。いくらなんでもそれはダメだろう。
これがもし男女間のやり取りだとしても、許されざるべき発言だとアキラは思った。
「一体キミは何を考えているんだ」
「おまえのこと、そしておまえをどうしようかってことだけ考えてる」
もし嫌なら断ってくれたら何もしない。でもはっきり言葉に出して拒絶しないならOKだというふうに理解すると。
甚だ勝手な言い分だがアキラは何も言えなかった。
「ん、じゃあいいってことだよな」
あっと思う間も無くキスをされて、その後はされるまま一気に最後までいってしまった。
ぽたぽたとヒカルの体からこぼれる汗と、到達した後大きく息を吐いてアキラの上に倒れ込んできたヒカルの体の重さと熱さ。
アキラが覚えているのはそれだけだ。
気がつけば朝になっており、隣では生まれたままの姿でヒカルが寄り添うように眠っていた。
未だ圧倒されたままのアキラに出来たのは、ヒカルを起こさないようにベッドを抜け出し、服を拾い集めると手早く着替えて外に出ることだけだった。
(とにかく少し考えないと)
呆然と歩いて駅前まで行き、開いていたカフェに入るとコーヒーを頼んだ。
いつもは紅茶党のアキラだが、今日ばかりは濃いブラックコーヒーで意識をしゃんとさせたかった。
店の中にはまばらに客が居て、けれど皆他人に無関心な雰囲気なのが有り難い。
取りあえず考えなければならないのは、昨夜の行為をどう受け止めるかということだった。
もちろんヒカルのことは嫌いでは無い。むしろずっと長い間好きだったと言ってもいい。
けれどそれが叶うことがあるとは思っていなかったので、そうなった時のことをアキラはまるっきり考えたことが無かったのだ。
(断らなかったのは、嫌じゃ無かったからだ)
ヒカルの切り出し方はスマートでは無いし、むかっ腹がたつほど無礼だった。けれど、それでも突っぱねられなかったのは、構わないと思う気持ちの方が大きかったからだ。
(される側になったこともそんなに自分では気にならないし)
元々がそういう意欲が薄いアキラは、ヒカルを好きでも具体的に行為を持つことまでは想定しておらず、だから具体的なやり方がわからない。
リードしてくれるならそれに越したことは無いし、何よりもあんなにも熱心に欲してくれるならば、ヒカルが主導権を持つべきだと感じたのだ。
(かなり痛かったし、ものすごく疲れたし)
そして実際に経験してみれば、それはかなり体に堪えた。今現在も体中が痛いし、頭は熱がある時のようにぼんやりとしていた。頭痛も少しするようだし、倦怠感が半端無い。
もしもこれからも同じような行為を続けるのだとしたら、時を考えなければならないなとアキラは思った。
(ということは、ぼくは彼と続けるつもりがあるんだ)
なるほどと、納得しつつもアキラはそんな自分自身に驚いた。
ヒカルは好きだけれど、それと恋人になることはまた別だ。体を重ねる程プライベートに踏み込ませることは否応もない生活の変化を意味するし、何よりヒカルはアキラにとって決して付き合いやすい相手では無かった。
(趣味も性格も何もかも違うし、対局でもしょっちゅうかち合うし)
もし付き合うことになったとしたら、たぶん喧嘩の絶えない恋人同士になることだろう。それもかなり激しい喧嘩のだ。
(あのジャンクフード好きに付き合わされるのはごめんだし、おれ様な性格も我慢ならない)
それでも。
それでもアキラは気がついたらぼんやりと、二人で過ごす光景を思い描いていた。
喧嘩しながらも、それでも同じくらい笑い合い、共にかけがえの無い時間を過ごす。そんな自分とヒカルの姿はそう悪いものでも無いように思えてきた。
そしてふっと唐突に一番重要なことを思い出してアキラは思わず笑ってしまった。
(男同士だっていうことは別に気にならないんだな)
本来何よりも先に気にするべきであろうことを自分はすかんとすっ飛ばしてしまっている。それよりも付き合う上での色々な小競り合いを心配しているのだと気がついてアキラは可笑しくてたまらなくなった。
(なんだ、じゃあ結局ぼくは彼と付き合う気満々ということなんじゃないか)
今回こんなふうに雪崩のように肉体関係に落ちて、その後をどうするべきか悩んだが、なんのことは無い、最初からそれは悩みでもなんでも無かったのだ。
(だったら後はどう操縦するか―か)
取りあえずいつでも自分を好きなように出来るとは思わないように躾なければならないなと思いながら、アキラはポケットから携帯を取り出した。
邪魔されるのが嫌で電源を切っていたけれど、そろそろヒカルも目覚めている頃だろうと思ったからだ。
確認すると驚くほどたくさんメールの着信があった。
『おまえどこ居るんだよ』 『怒ってんのか?』 『おれが悪かったから戻って来て』
とにかく本当にごめんなさいと、語彙は少ないまでも、持っている言葉の限りを尽くしてヒカルが謝っている。
「なんだ、夕べはあれだけ傲慢だったくせに」
姿を消しただけでこんなにも狼狽える。実は自信があるのは見せかけだけで、ヒカルも受け入れられるかどうか不安だったのかもしれないと思い至ってアキラはうっすらと微笑んだ。
『好きなのは本当だから』 『おまえの気持ちも聞かせてよ』 『頼むからおれのこと嫌いにならないで』
「随分可愛らしいんだな、キミは」
返事をしようかと考えて、でもアキラは再び携帯の電源を切った。
この辺りで開いていている店はここだけだった。放っておいてもすぐに追いかけて来て自分を見つけるだろうと思ったからだ。
(思う存分焦ればいい)
怒濤のような展開に自分が飲まれ茫然自失としたように、ヒカルもまた嫌われたかもしれないという不安と痛みに胸を焦がせばいいと思った。
(あんなことぐらいで嫌いになるはずが無いのに)
それでも、ヒカルには充分反省して強引なやり方を後悔して欲しい。
これから続くのだろう長い付き合いのためにはその方がいいのだとアキラは思った。
「…何事も最初が肝心だと言うし」
アキラは冷めてしまったコーヒーを飲み干すと、目を眇めるようにして窓の向こうを眺めた。
朝早い閑散とした町並みにいつヒカルは現れるだろうか。
そして見つけて最初、何を言うのかも気になった。
(「ごめん」かな)
それともいきなりくってかかってくるかもしれない。心配のあまりキレるような、ヒカルにはそういう所があったのだ。
(そうなったら喧嘩だな)
怒鳴ってぶん殴って、自分を抱いたということがどういうことを意味するのかたっぷりその身に教えてやってもいい。
「…待ってるよ」
今すぐにでも会いたいような、けれどしばらく顔も見たくないような。
相反する矛盾した気持ちを抱えながらアキラは手を挙げて店員を呼ぶとコーヒーのお代わりを頼んだ。
空きっ腹に立て続けのコーヒーは少々胃に負担だったけれど、飲み終えるまでにヒカルに何を話すか考えておかなければいけないなと思ったからだった。
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