| 2013年07月09日(火) |
(SS)恐れ入谷の鬼子母神 |
碁会所に来たお客さんが立派な朝顔を持っていたので、どうしたのだと尋ねたら入谷の朝顔市に行って来たのだと言った。
「毎年夏になると、鬼子母神様の朝顔市で朝顔を買うのが決まり事になっていまして」
そう言って鮮やかな色味の大振りな花を見せてくれた。
「私が行ったのはまだ朝の8時でしたけれどね、もう随分と賑わっていましたよ。若先生も行かれてはどうですか」
言われてみれば都内に生まれ育っているのに、一度も朝顔市には行ったことが無い。
進藤と暮らすマンションのベランダに置いたら夏らしくて綺麗だろうとふと思いつき、帰り道に遠回りして寄ってみた。
駅を出た途端にもう目の前には屋台や朝顔の出店が並び、それらを眺めながらゆっくりと歩く。
小一時間後、ぼくは濃いピンク色の朝顔を一鉢買った。
ほとんどが紫かピンク色の朝顔が並ぶ中、その花は明るい色味でほんの少しオレンジ色がかって見えたのが気に入ったのだ。
「朝と夕に二回水をやって下さいね。つぼみから下の葉は全部取ってしまって構いませんから」
手際よくくるくるとビニール袋に入れられて、きゅっと結んで持ち手が出来る。
それを受け取って、ぼくは立ち並ぶ屋台には一ヶ所も立ち寄らず、そのまま地下鉄の階段を下りた。
持って帰って早くベランダに置いてみたいと思ったからだ。
ところがいざ帰り着いてベランダに出てみると、そこには何故か朝顔があった。
「進藤?」
朝には確かに無かったはずと、ベランダから進藤を呼びつけると、ぼくより先に帰って来て、感心にも夕食の準備をしていた彼は、エプロンをつけたままの姿ですぐにやって来た。
「何?」 「この朝顔、どうしたんだ?」
尋ねると「ああ」と言う。
「指導碁に行った先のご主人が朝顔市で買って来たって言って見せてくれたのが綺麗だったからさ、おれも帰りがけに寄って買って来たんだ」
すげー沢山売ってたけど、その色がおまえのイメージだったからそれにしたと目を細めて言う。
彼が買って来た朝顔は涼やかな青い花だった。
「何? 朝顔嫌いだった?」
「いや、実はぼくも今さっき朝顔市で朝顔を買って来たものだから」
えーっと叫ぶようにして進藤がベランダに来る。そして並べて置いたぼくの鉢を見て、「本当だ」と目を丸くして見せた。
「しっかし、おまえ随分可愛らしい色の買って来たんだなあ」
意外や意外とくすりと笑われてムッとした。
「可愛くて悪かったな。それはキミのイメージで選んだんだよ」
「えー、おまえの中のおれってこういう可愛い感じなのかよ。もっとワイルドな男らしいさあ…」
「明るくて、温かくて良い色だろう? ぼくにとってのキミはいつも温かくて優しいから」
ぴったりだと思ったのだけれど、もっと渋い色の物にすれば良かったか? と尋ねたら、進藤は慌てたように首を横に振った。
「滅相もない。これで満足デスっていうか、これがいいデス」
そして改めて二つの鉢を見比べて、可笑しそうに笑った。
「しっかし、同じ日に同じ場所で朝顔買って来てるなんてな」
「時間が少しずれていたら、向こうで会えたかもしれないね」
「うん、そうかも。でも、もしそうなっていたら、おまえはたぶんこの色の朝顔は買わなかったんじゃないか?」
くすぐったそうに言われて、確かにそうかもしれないと思った。
進藤がすぐ側に居るのに彼のイメージの色の朝顔を買うのはあまりにも気恥ずかしすぎる。きっと無難な物を選んでいたことだろう。
そう思った胸の内を見透かしたように進藤が言った。
「…おれもきっと、おまえと一緒だったらこの色は買えなかったな」
だから今日は別々に買って良かったんだよと言う彼の言葉にぼくは素直に頷いた。
「あれ? でもキミは、今日はまるっきり正反対の方に指導碁に行っていたのではなかったっけ?」
ふと思い出して尋ねてしまう。
「そうだけど、でもよく考えてみたら、おれってば東京生まれの東京育ちなのに一度も朝顔市に行ってみたことが無かったからさ」
折角だから行ってみようと思ってと、そこまでがぼくと同じだったので、可笑しくて笑ってしまった。
「なんだよ、どうせおれは単純だよ」 「そうじゃない、実はね―」
他愛無い打ち明け話をした後で、ぼくは彼と二人して、二つの朝顔に水をやった。
オレンジがかったピンク色と、紺に近いような青い朝顔。
お互いがお互いを思い浮かべて買った花をこれから毎日見ることが出来ると思ったら、それだけでとても幸せになった。
夏の始まりの日の出来事。
きっと来年もぼく達は二人して、こんな風にそれぞれに朝顔を買って来るのかもしれない。
新しく出来た習慣は、ぼくを更に幸せな気持ちにさせたのだった。
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ということで、朝顔市に行ったものだから朝顔市話ですよ。 四季折々、お祭りがあるのっていいですよね。
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