| 2013年07月06日(土) |
(SS)花で碁を打つ |
例年よりかなり早く来た台風が通り過ぎた翌日、実家を見に行くという塔矢と一緒に、おれも塔矢家に行った。
塔矢が家を出ておれと暮らすようになってから、もともと外国暮らしが多かった塔矢先生達はより一層帰って来なくなり、普段の管理は業者に頼んであるものの、たまに留守宅に塔矢が風を通しに行ったりするのだ。
「古い建物だけれど、頑丈に出来ているから心配はしていないんだけれどね」
行きがけに塔矢がそう言っていたように、到着して久しぶりに見る塔矢家は昨夜の強風にもびくともしていなかった。
瓦の一枚飛ぶでも無く、戸にも窓にも異常は無い。
「それじゃ、ぼくは家の中を見てくるから、キミは庭の方を見て来てくれるか?」
「見てくるって何を?」
「風で折れた枝が無いかとか、塀が壊れていないかとかに決まっているだろう」
少々呆れたように言っておれを庭に追いやると、塔矢はさっさと家の中に入って行った。
(まあ、別に見回りでもなんでもやるけどさ)
年々あいつのおれに対する扱いはぞんざいになって来てはいないかと、少しばかり拗ねた気持ちで家の南側に向かう。
縁側に面している塔矢家の庭は、結構広く植木も沢山植わっていたが、こまめに庭師が入って手入れをしているので伸びすぎの枝や雑草も無く、綺麗に整っていた。
(まあ、多少小枝が散らかってるけど、こんなもんだろ)
倒れるような大木も無いし、ざっと見た所塀にも何ら異常は無い。
良かった良かったと、ついでにくるりと家の周りを一周回って玄関の方に向かったら、東側の狭いスペースに植えられた蔓のある木の花がびっくりするほどたくさん地面に落ちていた。
「…なんだっけ、これ…」
ハイビスカスでは無い、でも南の花。
鮮やかなオレンジと鮮やかなピンクの二色の花が萼から切ったように落ちている。
(こんなに綺麗なのに、もったいないなあ)
そもそもが家の横手に植えてあるのであまり人の目には触れない。それがこんなに一度に落ちてしまっては、美しい頃を誰に見られることも無く終わってしまうではないかと、それが少しだけ可哀想になった。
なので両手に拾えるだけ拾って、それでも足りずにシャツを器代わりにしてほとんど全てを拾って再び南側の庭に戻った。
「進藤?」
何をやっているんだと、ちょうど縁側の雨戸を開け放していた塔矢がおれを見て驚いたように声をかける。
「うん、家の横に落ちててさ、勿体ないから拾って来た」
「拾って来たってそんなものどうする――」
庭に降りて近づいて来る塔矢の目の前に花を置くと、おれは近くにあった小枝で地面に線を引いた。
塔矢は不思議そうにおれのすることを眺めていたが、すぐに解ったのだろう小さく笑うと、キミらしいと言った。
縦に十九本、横に十九本、線を引いたら即席の碁盤の出来上がりだ。
「打とうぜ」
枝を放り投げて塔矢を見たら、可笑しそうにまだ笑っている。
「なんだよ」
「いや、随分風流だなと思って」
「いいからどっちでも好きな方選べよ」
塔矢は目の前にある花の山からオレンジ色の花を摘み上げると、おれの引いた線の上に置いた。
パサリと微かな音がして、花が小目の位置に咲く。
「キミの番だよ」
促されておれはピンクの花を掴むと、左下の隅に置いた。
「…綺麗だね」
目を細めて言いながら塔矢が次の花を持つ。
「この花、なんて言うんだ?」
「ブーゲンビリア。お母さんが好きなんだ」
けれど鮮やかな花は、純日本風の家にも庭にも似合わないので、こっそりと目につかない東側に植えているのだと言って塔矢は笑った。
「ぼくは別に表に植えても構わないと思うんだけどね」
「そういうわけにも行かないだろ、これをそこの松の隣なんかに植えたら侍の隣にハワイアンダンサーが立っているみたいじゃんか」
「どういう例えだ。まあ確かに庭のバランスは悪くなると思うけれど。…でも本来はこういう明るくて華やかな花を母は好きなんだよ」
「へえ、いかにも『日本のお母さん』って感じなのに」
話しながら互いにオレンジとピンクの花を置く。いつもの白と黒の碁石と違って鮮やかなことこの上無い。
「それは母が必死でそう見えるようにして来たから。だから今は好きな花に囲まれてのんびりと暮らして楽しいんじゃないかな」
「今?」
「父と母が居る台北は亜熱帯だからね。一年中暖かで、こういう鮮やかな花が多いんだよ」
「へえ、そうなんだ」
「新婚旅行にも行っていなかったから、今そのやり直しをしているみたいだって、いつか行った時に笑って言っていたけれど」
ぽつりと言ってまた花を置く。
塔矢のお母さんがこの家に嫁いで来た時には既に塔矢先生はタイトルを幾つも持つ忙しい棋士で、結婚したからと言ってのんびり旅行をする暇など無かったらしい。
「向こうに居れば煩わしい人間関係からも抜け出せるし、何より父を独占出来るから」
きっと当分帰って来ないだろうねと苦笑混じりに笑った。
「寂しい?」
「まさか! 子どもじゃあるまいし。それにずっと大変だったのを見て知っているから、父とゆっくりした時間を母が持てるようになって本当に良かったと思っている」
パサッと花を置いて塔矢が言う。
その横顔は相変わらずの母親似で、綺麗だなとぼんやりと思った。
「キミ、今日は随分慎重だけれど暑さでボケているのか? それとも有り得ないとは思うけど、ぼくに手加減しているのか?」
「どっちもねえよ! なんだよ、おれがじっくり打ったらいけないのかよ」
「いや、いつもはせっかちなくせにどうしたのかなと思って」
それとも花で打つなんて雅なことをしているから調子が狂うのかと笑われてムッと唇を引き結んだ。
「おまえこそ、そーやって人のこと甘く見てると、急所突かれて泣くはめになるからな」
ピンクの花をオレンジの花を切るように置く。と、塔矢の顔から笑みが消えた。
「ふうん…確かにボケているわけじゃなさそうだね」
そしてそれからは互いにしばし無言で花を置いた。
ピンク、オレンジ、オレンジ、ピンク。
目に入る全ての色が鮮やかで綺麗だ。
そしてその中でひときわ綺麗なのが、おれを負かしてやろうと真剣になっている塔矢の整った顔だと思う。
「なんだ?」
視線に気がついたのか塔矢が顔を上げる。
「いや、なんでも」
すると今度はふと手を止めて塔矢がおれのことを見詰めた。
「何?」
なんでも無いと真似っこのように返って来るかと思いきや、塔矢は手の中で花を弄びながら言ったのだった。
「いや、ぼくは幸せだなと思って」
「何が?」
「海外になんか行かなくても、ずっと好きな人と二人きりで居られる。しかもこれからもずっとそうなんだから」
過ぎる程の幸福じゃないかと真顔で言われて急には返事が出来なかった。
「おまえ、そういう…」
「キミは違うのか?」
畳みかけるように問いかけられて思わずむきになってしまった。
「違わねーよ!」
パサリと思い切り置いた花は盤上で塔矢の花に寄り添っている。
(ああ、確かに)
ずっとずっとおれ達は二人だ。そして離れることは無い。
こうして向かい合い、誰も居ない庭で花で碁なんか打っている。
飽きることも無く、永遠に無心に。
そう思ったら、たまらない程の幸せに酔いそうな気持ちになった。
おれくらい幸せな人間がこの世に果たしてどれくらいいるだろう?
「…そういえば、今まで聞いたこと無かったけど、先生達って恋愛結婚? 見合い結婚?」
難しい場所を攻められてしばし考え込んだ後、おれは花を置きながら塔矢に尋ねた。
「今まで言ったことは無かったっけ?」
「無いよ。じゃあ、見合い?」
「違うよ」
即座にオレンジの花を持ちながら、塔矢はおれを見て言った。
「お父さん達はね―」
頭の中でもの凄い速度で、次に打つ手を考えているのが解る。
「お父さん達は、恋愛結婚だよ」
そして随分時間が経ってから花を置く。
塔矢は、その置いた花よりもずっと鮮やかに美しく、にっこりと微笑みながら挑むようにおれを見詰めたので、おれもまた睨むように塔矢を見詰め返すと、盤上に鮮やかなピンクの花を置いたのだった。
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何番煎じというか、沢山の人が同じようなネタで書いたかと思いますが。 ブーゲンビリア、綺麗ですよね。家の近所にもたくさん咲いてます。
塔矢パパとママは絶対恋愛結婚だと思っています。そうでなければアキラのあの内面の激しさが納得出来ん。
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