| 2013年04月17日(水) |
(SS)スーツと大根 |
指導碁からの帰り道、アキラは商店街の八百屋で大根が二本百円で売られているのを見つけて足を止めた。
まあまあの大きさのものが二本、ザルに乗せられていて、それで百円というのは安いと思った。
最近野菜が不足気味だし、大根は色々使えるしとしばし考えた後購入したのだが、買ってすぐに若い女性から声をかけられた。
「塔矢先生」
上から下まで隙無く決めたその女性は、何度か棋院の囲碁教室で教えたことのある人で、アキラを見るなり嬉しそうな表情を浮かべたが、その視線がアキラの下げている袋にたどりついた途端、クスっと何とも言えない笑いをこぼした。
「…塔矢先生でも大根なんか買われるんですねえ」
なんだかイメージ狂っちゃったと、そして自分から声をかけたにも関わらず、クスクスと笑ったまま去って行ってしまったのだった。
呆然というのはこういうことだろうか。
一人残されたアキラは釈然としない思いで家に帰った。
そして時間が経っても胸の内のもやもやが消えないので携帯を取り出すとヒカルに電話をかけたのだった。
「キミ…ぼくが大根を買っているのを見たらどう思う?」
出るなり言われた言葉にヒカルは一瞬絶句して、それから可笑しそうに笑った。
『は? なんだよいきなりだなあ』
「いきなりでもいいから答えてくれ。キミはぼくが八百屋で大根を買って下げて歩いているのを見たらどう思うんだ」
あまりにも唐突なアキラの問いに、けれどヒカルは茶化すこと無くしばし考えた後に答えた。
『うーん、おでんにするのかなって思う』
「それだけか?」
『ああ、ふろふき大根かもしんないなって。そうだったらおれも好きだから食いたいなあって』
あっけらかんとしたヒカルの答えに、アキラは肩の力が抜けるのを感じた。
「…ぼくらしくないとは思わないのか?」
『は? らしいってどういうの。むしろものすごくおまえらしいと思うけど』
笑いながら言っているけれど、ヒカルの声は真面目だった。
心からそう思って答えているとよくわかる声音に、知らず寄っていた眉の間の皺も消えた。
「…所帯臭いとか、みっとも無いとか思わないのか?」
『なんでだよ。おれ達一人暮らしなんだから、足りないもんがあったら買うだろう? それがなんかおかしいか?』
「いや、何もおかしくない」
おれなんか今日、疲れてたけど薬局でトイレットペーパー買って帰った。切れていれば、洗剤だってティッシュだってなんだって買って帰るよと言われてアキラは笑った。
「それが指導碁帰りのスーツ姿の時でも?」
『スーツ関係無いだろう? なんで今日はそんな変なことばっか聞いてくんだよ、おまえ』
訝しそうに聞かれてアキラは益々嬉しそうな笑顔になった。
ヒカルの言う通りだと思ったからである。
生活している以上、日用品は買わなければ補充されない。自炊している以上、食品を買うのも当たり前で、その当たり前のことを嗤われる謂れなどどこにも無いと思ったからだ。
「ごめん、なんでも無いんだ。ただちょっと理不尽な気持ちにさせられたものだから」
『大根に?』
不思議そうに尋ねられて笑って返す。
「そう。大根に」
『それでその大根は今夜何になる予定なんだよ』
「これと言って何も考えていなかったけれど…」
ふと思いついて口にする。
「たくさんあるから、ふろふき大根にでもしようかな。なんだったらキミも食べに来るか?」
間髪入れずヒカルは「食う」と返事をした。
「じゃあすぐ行く。なんか足りないもんあったら持って行くけど」
「そうだな」
アキラは一瞬考えて、それから優しい声で言った。
「別に何も無い。強いて言えばキミが足りないから」
早く来いと言ったらヒカルは嬉しそうに笑ったので、アキラもまた幸せな気持ちで笑い返したのだった。
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ヒカルもアキラも仕事帰りに普通に買い物して帰ります。それを格好悪いとか思うようなつまらない見栄は持っていません。生活しているんだから当たり前。そういう感覚です。
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