SS‐DIARY

2013年01月19日(土) (SS)ようかんはようかんでお食べなさい


棋聖戦七番勝負第四局二日目、神奈川県小田原市の老舗旅館「翠明館」楓の間。

塔矢アキラ十段は昨日から日にちを跨いでタイトル戦を戦っていた。

相手は堂々貫禄の緒方精次棋聖で、兄弟子と弟弟子の対決ということでも各方面から注目されていた。

ライバルであり、密かな恋人である進藤ヒカル八段も昨日から駆けつけて真剣な面持ちで対局を見守っていた。


『大丈夫、いくらおれだってこんな真剣勝負の時におまえを疲れさせるようなことしないって。今回はマジに応援に来ただけだからもう自分の部屋に帰るよ』

昨夜ちらりと顔を見せに来たヒカルは、アキラの険しい顔に恐れをなしたようにそそくさと去って行った。が、そこはそれヒカルであるので去り際にひとことも忘れ無かった。

『おまえさあ、そんな眉間に皺寄せてたら勝てるもんも勝てないぜ? ちょっとはリラックスしろよな』

『緒方さん相手にそんな余裕は無いよ』

『じゃあ、とっておきのおまじない教えてやっから、対局前にでも唱えてみな』

そしてアキラにとっては迷惑極まりないながらも彼の言うおまじないとやらを言い残して今度こそ本当に去って行った。


ヒカルが教えてくれたのはおまじないというより早口言葉だった。

『ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん』

これを三回唱えればいいと、まあ要はガス抜きのようなものなんだろうなとアキラは思った。


朝になり、対局の場である楓の間にやって来た時、ヒカルは記者達に混じってにこりともせずに座っていたので、アキラも自然に背筋が伸びた。

(せっかく教えてくれたのだし、彼の顔を立てて唱えてやるか)

そう思ったのは、タイトル保持者である緒方棋聖のやって来るのが少し遅れていたからである。

(ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん―)

本当に子供だましだと思いつつも、案外リラックス出来たような気がする。

アキラが三回唱え終わった所で緒方もやって来て、さあいよいよ二日目の対局と思った時に宿の仲居がさり気なく二人の脇におやつを置いた。

昨日は午前はカステラで午後は水菓子だった。今日は何かなと目線を落としたアキラはそのまま大きく目を見開いた。

(水羊羹)

置かれていたのは楊枝を添えた、つややかな水羊羹だったのだ。

その途端、アキラの脳裏に教わった早口言葉が閃光のように蘇る。



ようか かように ようかんで ようかん よんこ かう よかん


こみあげてくるものをこらえにこらえて、それでも我慢出来ず吹きだしたのはちょうど緒方が昨日封じた封じ手を立会人が読み上げた時だった。

しんと静まり返った室内に、ぶっと吹いたアキラの声が響き渡る。

「…ほう、いい度胸だな」

緒方にアキラの事情が解るはずもなく、室内は瞬く間に険悪な雰囲気になった。


後にしつこいほど取材で聞かれることになる、『吹き出すほどぬるい棋聖の封じ手』事件は長らくアキラを苦しめることになるのだった。


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アキラはヒカルと違って「くだらないこと耐性」が出来ていません。
ヒカルは駄洒落とか好きそうだなあ…。


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しょうこ [HOMEPAGE]