SS‐DIARY

2012年08月15日(水) (SS)兎の目


普通中々出来ることじゃないよと、決して褒めた口調ではなく医者が言った。

「意識があっても苦しみが長引くだけと解っているから、わざと気絶させたんだろうね」

意図は分かるが医師としては絶対にやって欲しく無いことだったと苦い口調で言いながら、おれに向かって問いかけた。

「で、彼はキミの友達なの?」
「あ…いえ」

恋人ですとはさすがにおれも言えなかった。



駅で、塔矢を庇って階段から落ちた。

ラッシュ時でも無いのに非道い混雑の東京駅で、蒸し暑さに閉口しながら階段を下りていたら、人の流れを無視して上って来るヤツがいて、そいつがかきわけるようにして塔矢のことを押し退けたのだ。

前のめりに落ちかけたのを腕を掴んで引き戻して、でも代わりに自分がバランスを崩して落ちるはめになった。

ああいう時、どんなに混んでいても隙間ってものは出来るんだなと変なことに感心しながらおれは階段の下まで無様に落ちて、体の下に敷き込んでしまった右足をどうやら骨折したらしい。

鈍い嫌な音を聞いた後、もうまともに物を考えられない程の激痛が起こって、おれは歯を食いしばりながら蹲ることになった。

「進藤、大丈夫か?」

薄く目を開けると真っ青な顔をした塔矢がおれのことを見ていた。

「大―」

丈夫なわけあるかクソ野郎と思いつつ、でも塔矢に心配かけたくない一心で「大丈夫」と笑って見せた。

「でも、キミ…顔色が」

それにすごい汗をかいていると言われて、そうなのかと思った。

「暑いじゃん、今日。あー、でもこれじゃ指導碁間に合わないな。おまえ先に行って謝っておいてよ」

今日はおれと塔矢、二人して八重洲分院で指導碁をすることになっていたのだ。

「置いて行けるわけ無いだろう。すぐに駅員を呼んで来るから」
「いいよ、大袈裟だな」

わざわざ呼ぶまでも無く、見ていた誰かが告げたんだろう、やがて数人が駆けて来て、すぐにおれを別な場所に運ぼうとした。

けれどほんの少し触れられるだけでも絶叫しそうな痛みが走り、それがそのまま顔に出ていたので結局誰も何も出来なかった。

「今、救急車を呼びましたからもう少し我慢して下さい」
「はい。すみません」

いくら言っても離れない塔矢には八重洲に連絡するように言い、でも後はもうみっともなく呻かないように耐えることしか出来なかった。

(苦しい)

小さい頃から怪我とは縁の切れない生活だった割に骨折だけはしたことが無かったおれは、骨を折るということがこんなに激しく痛むものだとは知らなかった。

(いっそ気絶出来たら楽なのに)

それも出来ないで延々と耐えるだけしか無い、中途半端な痛みを心から呪った。

(痛いって言うか、熱い)

熱くて非道く息苦しい。

「…救急車、遅ぇなあ」

時間が遅々として進まずに感じられて、思わずぽつりと漏らしてしまった時だった。

いきなり塔矢がすくっと立って、おれの左足を思いきり蹴りつけたのだ。

「痛――――――っ」

痛いというレベルでは無い。正に目から火花が飛び散るような猛烈な痛みが頭の先まで貫いて、おれはやっとお望み通り気絶することが出来たのだった。



次に気がついたのは病院のベッドの上で、すぐに医師が呼ばれてやって来た。
そして最初の言葉を言われたのである。

どうしてやったのか解らないでは無いが、医療に携わる者としては決して勧められたことではないと。

「まったく…折った足を蹴るなんて普通じゃ考えられないことですよ」
「はあ…まあフツー、そうデスよね」

でもそれをやるのが塔矢なのだ。

やせ我慢して平気なふりをしていたけれど、おれが限界近い痛みに耐えていることを塔矢はちゃんと解っていたのである。

「そんなに非道い状態じゃ無かったからいいようなものの、一歩間違えればもっと非道いことになっていたかもしれないんだから」

もう二度とこんな無茶をしないように彼によく言っておいてくれと言われて初めて塔矢が側に居ないことに気がついた。

「あれ…あいつ…」
「お仕事に行かれましたよ」

ベッドの反対側で点滴の操作をしていた看護師がおれに言った。

「処置が終わるまで廊下で待ってらしたんだけど、大丈夫って解って安心したのかしら?ちょっと前に帰られて」

あなたには『ヤエスに行く』って伝言を預かっていますと言われて苦笑のように笑ってしまった。

「ああ、はい、解りました」
「夜にまた来るっておっしゃっていましたよ」

二人分の指導碁を終えた後で、塔矢は一体どんな顔でこの病室に来るんだろうか。

(まあ、まず最初のセリフは想像つくんだよな)

『謝らないよ』

きっと塔矢は言うだろう。

『キミが怪我人にも関わらず、べらべら喋ってうるさいから、悪いけど口を閉じさせて貰った』

そのくらいは言うかもしれない。

(でも、たぶん)

その目はきっと泣いた痕で赤い。

口はどんなに辛辣で、素振りはどんなに素っ気なくても目には気持ちが現われてしまう。

「あいつ、すごく泣いただろうなあ…」

救うためとは言え、それでもおれに激痛を味わわせた。それを後悔しないでいられる性格では決して無いから。

(馬鹿だよなあ)

意味を理解出来なかった人達には、たぶん随分なことを言われただろう。

頭の回転の悪い奴だったら塔矢こそがおれに怪我をさせた犯人ではと疑ったかもしれない。

そうで無くても常軌を逸した行動にしか塔矢のそれは見えなかったはずだから。

「ほんと…どんだけおれのこと好きなんだよ、おまえ」

呟いて微笑む。

(精々痛がって不機嫌な顔をしてやろう)

(文句言って、恨み言言って、でもそれから嘘だよって言ってやるんだ)

大好き。ありがとう。

そう言った瞬間塔矢がどんな顔をするだろうかと考えて、幸せのあまり骨折の事実を忘れかけたおれは、思わず足を拳で叩いて悶絶するはめになったのだった。


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自分がどう見られるかっていうのは気にも止めないと思うんですよね。
ヒカルが苦しんでるのが無くなればそれでいいって。


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しょうこ [HOMEPAGE]