SS‐DIARY

2012年08月13日(月) (SS)犬と飼い主


進藤のことを犬のようだと評する人がいる。

いつもにこにこ人懐こく、好きな相手には尻尾を振るが如くじゃれついて行く。

感情表現もストレートだし、見た目からして大柄な犬という印象があると。

実際ぼくも彼のことを犬みたいだなと思うことがある。

上手い打ち回しで勝った後、褒めて欲しいという顔でぼくを見るし、何よりどんな遠くに居ても呼べば嬉しそうに駈け寄って来る。その姿がぼくに犬を連想させるのだ。

『何? 呼んだ?』
『今どこ居んの? うん。へえ、解った。じゃあすぐ行くから』
『おれ、今暇だよ。おまえも時間あるならそっち行くけど』
『碁会所? いいよ。うん。和谷達と居るけど抜けて行くからいいよ』

その瞬間どこに居ても、誰と居てもぼくが呼べば来る。だからつい錯覚しそうになってしまう。彼がぼくの言うことならなんでも聞く飼い犬であるかのように。

(でも、本当は犬なんかじゃない)

少なくともぼくの言いなりになる可愛い飼い犬などでは決して無いと、油断していると手痛く思い知らされることになる。





長い時間携帯の画面を睨んだ後、ぼくはふうと大きな息を吐いてから、かけることなく携帯を仕舞った。

見詰めていたのは進藤にかけようかどうしようか迷ったからで、でもかけても出ないということが解っていたので、かけることが出来なかったのだ。

数日前ぼく達は些細なことで喧嘩した。元は打ち方がどうのという話だったと思うが、気がついたら非道く感情的になっていて、最後は怒鳴り合って道端で別れた。

捨て台詞のように言われた『もうおまえなんか知らねぇ』はまだ耳の底に残っており、それもあって余計にかけられなかったのだ。


「どうしたの? 進藤くん居なかった?」

部屋に戻ると芦原さんが邪気の無い顔でぼくを見て言い、だからぼくも仕方無く溜息まじりに「ええ」と言う。

「今日は彼、忙しいみたいですよ」
「そうなんだ。折角緒方さんが奢ってくれるって言うのにね」

勿体無い。きっと美味しいお店に連れて行ってくれるはずなのにと何の疑いも無く言われて苦笑した。

「今日がダメでもまた別の機会がありますから」
「そうだね。じゃあ僕らも、もう行こうか」

連れだって外に出て、人混みの中を歩くうち、ふと視線を感じて顔を上げると道路の向こうに進藤が居た。

たくさんの友人達に囲まれた彼は、ちゃんとそっちの会話に混ざりつつ、でもぼくの姿も認めている。

ぼくが居て、芦原さんと歩いていて、彼の姿に気がついたこともちゃんと解っていて、なのにあからさまに顔を背けた。

おまえなんか知らないよ。

横顔がそう言っている。

普段はあんなに開けっぴろげにぼくのことを好きだと言い、呼べば何もかも捨てて駈け寄って来るくせに、一旦機嫌を損ねると掌を返したように彼はぼくに冷たくなる。

まるでいつもの人懐こさは見せかけで、本当はおまえのことなんかいつだって簡単に切り捨てられるのだと言っているかのようで、ぼくは胸に痛みを覚えた。

「…虎じゃないか」

犬なんかでは無く獰猛な虎で、普段はお情けで爪と牙を隠してくれているのだと、その冷酷さがぼくの心をざくりと大きく引き裂いて行く。

「あれ、進藤くんじゃない? 用事って友達と遊びに行くことだったんだね」

じっと見ていたからだろうか、芦原さんも彼に気がついて、でもぼくと彼の間で交わされた冷たいアイコンタクトには気付かずに無邪気に言う。

「本当に彼、友達多いよね。当たりも柔らかいし、人懐こいし、人に好かれるタイプだよねぇ」
「…本当に」

そつなく返しながらぼくは苦く胸の内で思う。

実際人に囲まれていることが多い愛想の良い彼は、でもぼくには違うのだ。

ぼくにだけ違う。

いつでも進藤は気分次第でぼくを捨てることが出来るし、腹が立てばぼくを孤独に追い詰めることだって出来てしまう。

(キミは非道い)

ぼくだけに非道い。

でもそれがどうしてなのかも解っているから、ぼくはそれを非道いと彼に言うことが出来ない。

「緒方さん待ちくたびれていないでしょうか?」

振り切るように明るい調子で会話を続けると、離れた場所に居る彼が思いきり不機嫌な顔で睨むのが解った。

こちらの声が聞こえているわけでは無い。視線を外したそのことに怒っているのだ。

彼はいつでもこんな風に、一方的にぼくが傷付けられることを望む。

(でもぼくだって、黙って切り裂かれるわけには行かないから)

精々キミも傷つけばいいと思うのだ。

「んー、そうだねえ。ちょっと待ちくたびれて怒っているかもしれないねえ」
「でも、絶対に帰ったりはしないんですよね」
「そうそう、あれで緒方さんて寂しがりな所あるから」

あははとぼくはわざとらしいくらい明るい声で笑った。

彼のように牙も爪も持ってはいないけれど、それでもこの笑い声が彼に届き、少しでも心に傷をつければいいのにと思うからだ。

(キミが犬じゃないなら、ぼくだって物分かりのいい飼い主なんかじゃない)

飼い主のように振る舞って、キミを犬にさせてあげているだけで、その気になればいつだって捨てて新しい『犬』を飼うことが出来るのだと、そう思い知らせてやりたかった。

ぼくはもう彼を見ない。彼もまたきっともうぼくを見てはいない。

でも心だけはずっと相手を気にし続け、例え姿が見えなくなっても執拗に互いを傷付け合うことを止めることが出来ない。

それがぼくと彼の関係。

犬と飼い主なんかでは無く、恋という鎖で繋がれて、愛という鞭で相手を打つ。痛々しくて生々しい関係だった。



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