SS‐DIARY

2012年08月12日(日) (SS)無地の浴衣と古典柄


人の群れが皆、同じ方向に流れて行く。

浴衣の日と決められたわけでも無かろうに、判で押したように男女とも浴衣で歩いているのが何となく可笑しくてアキラはくすっと笑ってしまった。

けれど、そんなふうに笑ったアキラ自身もやはり皆と同じように、古典柄の黒地の浴衣を着ているのだった。

(絶対浴衣を着て来いだなんて)

誘ったヒカルは少し先の橋の袂で待っているはずで、やはり浴衣を着ているんだろうと思うと苦笑のようなその笑みが更にアキラの顔中に広がる。

「見え見えなんだよ、キミ…」

今日は恒例の花火大会の日で、周囲に居るのは皆それを見に行く人達だった。

そのほとんどが男女のカップルで、浴衣姿で手を繋いで歩いていて、はしゃいだ空気が伝わって来る。

ヒカルはたぶん、自分とそんな風に歩きたいと思っている。

普段は人目を気にして滅多に手を繋いで歩くことはしなかったが、これだけの人混みならあまり目立たないはずで、そして何より歩いている人々は自分の相手ばかりを見ていて他のことなど気にしていない。

そういう意味では恋人らしく振る舞うのに好都合の日と言えた。



「ごめん、遅れたかな」

何事にも五分前行動が基本のアキラだったが、待ち合わせた場所に着くとヒカルはもう来ていて、ぼんやりと川の向こうを眺めていた。

なんとなく派手な柄物を着て来るだろうと思っていたのに、着ている浴衣はベージュの無地で、それをきりりと粋に黒い帯で結んでいる。

(格好いい)

アキラは一瞬ヒカルを惚れ惚れと見詰めてしまった。

いつの間にかすっかり背が伸びて、体つきもしっかりとしたヒカルは、無地の浴衣がよく似合う大層な男前に育っていた。

「いや、おまえ全然遅れてねーよ。おれがちょっと早く着きすぎちゃっただけ」
「槍が降るな」

ぽそっと言ったら睨まれたけれど、もちろん本気の睨みでは無い。すぐににっこりと絶品の笑みを浮かべてアキラに手を差し伸べる。

「行こうぜ、良い場所とってあるから」
「場所取りをしたのか」

そこまでするとは思っていなかったので少々驚いて尋ねたらヒカルは曖昧に、にやっと笑った。

「まあ、そんなようなもん?」
「なんで疑問系なんだ」
「まあいいじゃん。花火見るには最高の場所だからさ。でも場所だけで飲み
もんも食いもんも何も用意して無いから、行く途中で買って行こう」

そして予想通りアキラの手をしっかりと握って歩き出したのだった。



時間は6時を過ぎていたけれどまだ辺りは充分に明るくて、そんな中、堂々と手を繋いで歩いている自分達がなんだかアキラはこそばゆかった。

「すごい人だね」

花火見物に行ったことが無いわけでは無かったが、こんなにも多くの人が行くような花火に行くのはアキラは初めてだった。

元々人混みが苦手で、両親も同じタイプだったので、混むと解っている所にわざわざ出かけなかったせいもある。

「まだこんなもんじゃ無いだろう。始まったら道の端までぎっちぎちで、見てるのも窮屈になると思うぜ」
「そんなに混むのか」

少しばかり不安になって呟くと、ヒカルはぎゅっと強くアキラの手を握った。

「だーいじょうぶだって。おまえをもみくちゃになんかさせないってば」

そのために良い場所キープしたんだしと言われてアキラはほっとした。

「ありがとう…キミって意外とマメだよね」
「おまえのためだけ、だけどな」

自分や他のヤツのためだったら絶対しないとさらりと言われてさっと頬が染まる。

(まったく、どうしてこう進藤は)

恥ずかしい人間なんだろうか。

いや、違う。どうしてこうも、無自覚に自分を恥ずかしくてたまらない気持ちにさせるのが得意なんだろうかとアキラは思う。

けれど人混みの中を歩く内、ふと妙なことに気がついた。

「…進藤?」
「ん?」
「行く方向が皆と違わないか?」

途中まではほぼ一緒だった。それがいつの間にか逸れ始めて、今では向かう人の群れと逆に二人は歩いているのだった。

「そりゃそーだよ。とっときな所に場所取ってあるんだからさぁ」
「…ああ」

良い場所を取ってあるとヒカルは言った。もみくちゃになんかさせないとも
言った。

つまり皆が行くような場所から見るつもりは無いと言うことだ。

「キミだけが知っている穴場ってこと?」
「んー、まあそうかな。穴場って言ったら穴場だよ」

そして更にどんどん人とは別な方向に歩いて行く。

途中、コンビニに寄っておにぎりや焼きそばやフライドチキンと一緒によく冷えたビールを数本買った。

「あ、枝豆も食いたい」

のヒカルの一言で枝豆も買って、もう完全に花火大会見物の格好でたどりついたのは、何故か見物客の一人も居ないビルが建ち並ぶ一画で、アキラはしばし呆然としてしまった。

「は?……え?」

周り中、そこそこに背の高いビルばかりで花火が綺麗に見えるとは夢にも思えない。

「えーと、うん。ここ、ここ」

更にヒカルがそう言ってアキラを連れ込もうとしたのは、これがもうどう見てもただの古い雑居ビルというか、廃ビルと言ってもおかしくないような建物で、アキラは一瞬ヒカルに騙されたのではないかと思ってしまった。

心持ち躊躇ったのをぐいと強く腕を引かれて仕方無く中に入る。

「進藤」
「ん?」
「ここで花火を見るのか?」
「うん。ここの八階から見る」

(八階…)

漠然と視覚だけで数えた階数は優にその倍はある。屋上から見るというならまだしも、真ん中で花火が見られるとはとても思えない。

「―帰る」

くるりと背を向けかけたら更に強く腕を引かれた。

「気持ちは解るけど、もうちょっとだけおれのこと信用してついて来いって」

不審丸出しの顔でヒカルを見詰めたアキラは、それでも揺るがないヒカルにほうっと大きな溜息をついた。

「解った。でも万一馬鹿なことを考えているのだったらぼくはすぐに帰るから」
「―マジ俺って信用無いなあ」

困ったような顔でへらりと笑い、それからヒカルはエレベーターの昇降ボタンを押した。


下り立った八階は、よくあるようなフロアで、向かい合わせて三つの部屋があった。

どこも今はテナントが入っていないようで、少し開いた扉からは中に何も無いのが見て取れる。

「このビル、おれの知り合いが働いてる会社の持ちもんでさ、来週取り壊されて更地になっちゃうんだって。でも実は花火がよく見える隠れスポットだって言うから、頼み込んで今日だけ入らせて貰ったんだ」
「へえ…」

それでもまだ不審そうなアキラをヒカルは一番奥の部屋に連れて行った。そして入るなり明りもつけず、窓際に連れて行く。

「んー…そろそろかな」

携帯を見てヒカルがぽつと呟いた時、ひゅとガラスの向こうから独得の音がした。

ぱあっと、次の瞬間目の前に花火が広がってアキラは丸い目を更に大きく見開いた。

何も無いがらんとした部屋の中が一瞬隅々まで光で照らされる。

「どうだ、驚いたか!」

自慢そうにヒカルが言ったが、アキラはただ驚くばかりである。

「…ここ、もしかして打ち上げ場所の真裏なのか」
「うん、川挟んでるし、実際はもうちょっと距離あるけどな」

人の流れと逆に歩いたヒカルとアキラは、ぐるうりと回って打ち上げ場所の裏手に来ていたのである。

皆が見に行く方とは違い、こちらはビルばかりで視界が悪い。

しかもほとんどが企業なので今日は休日で人は居ず、又、居たとしても建物同士が重なって窓から花火を見ることは出来ない。

それが、このビルの八階のこの窓からだけは奇跡的によく見える。

まるで切り取ったかのように、絶妙にどの建物も入り込まないのだ。

「これより上に行っても下に行ってもダメ。右に寄っても左に寄ってもダメなんだって」
「本当に穴場なんだな」
「そ。このビルの持ち主も知らないらしいぜ。でも椿さんは…あ、椿さんておれの知り合いな? たまたま気がついて毎年こっそり花火を楽しんでたらしいんだ」

そう話している間にも次々と花火が打ち上げられる。あまりにも良く見えすぎて大画面のテレビでも見ているような気分だった。

「こんないい場所なのに…よく譲って貰えたな」
「うん。まあ、ちょっとメシ奢らされたりもしたけど、元々気の良い人だし」

恋人と見たいからとお願いしたら気持ちよく譲ってくれたぜとヒカルは言う。

「まだ一応電気が通っているからエアコン使えるし、暑い中で汗だくで見るよりいいだろ?」
「…うん」
「床はあんまり綺麗じゃないけど、外で見るなら同じだし」

何よりゆっくり二人だけで見られるもんなと言われてアキラの目の下がうっすらと染まった。

「これで信用して貰えた?」
「あ、ああ…うん。疑って悪かった」

半ばまだ呆然としつつ、アキラはヒカルに頷いた。

てっきり騙されたと、ろくでも無いことを考えているのではないかと一瞬でも疑ったことをアキラは今は恥じていた。

誰のためでも無い、人混みの苦手な自分のためにヒカルがこの場所を用意してくれたと解ったからだ。

「取りあえず始まったことだし、飲む?」

床に置き離してあったコンビニ袋からビール缶を二つ取りだしてヒカルが言うのに、アキラは首を横に振った。

「もう少し、花火を見てから飲みたい」
「了解」

それじゃあ座る場所作るからと、用意良く新聞紙を広げ始めたヒカルの手を今度はアキラがそっと引く。

「何?」
「キミも花火を見よう」
「だから―」

言いかけるのを更に強く引いて、自分の隣に立たせるとしっかりと指を絡めるようにアキラはヒカルの手を握った。

「一緒に見よう?」

微笑まれてヒカルの頬が赤く染まる。

こういう恋人らしい我が侭をアキラは滅多にしてくれないからだ。

「きっ…綺麗だな」
「うん」
「違う、おまえが―」

おまえが綺麗だよと言う言葉にアキラは黙った。

「…格好いい」

ふいにぽつっと言われてヒカルが飛び上がる。

「え? 何? おれが?」
「違う。花火―」

期待して落とされて、少ししょんぼりとしたヒカルに被せるようにアキラが言った。

「嘘だよ、キミが」

キミが格好いいと言われて萎れたヒカルの顔が輝いた。

「マジで?」
「うん。待ち合わせ場所で立っていたキミを見て本当に格好いいと思った。そういう粋な浴衣が着こなせるんだなあって」

ひゅとまた花火が上がる音がする。

手を繋いだまま二人同時に窓の外を見る。

ぱあっと広がる色鮮やかな光に、しばし目を奪われてから互いを見た。

「塔―」

ゆっくりと顔を近づけて触れるかと思う瞬間、ドンという音と共ににアキラが思い出したように言った。

「椿さんて女の人?」

びりびりと細かく震える窓ガラス。

「今それを聞くのかよ」
「いや、大切なことだし」
「まさか! オッサンだよ。ヒゲの生えたクマみたいなオッサン!」

びっくりしたような顔をして、それからヒカルは半分笑い、半分怒ったような複雑な表情で言った。

「ごめん。だって随分親しそうだったから」
「おれってどこまでもおまえに信用無いんだなあ…」

腐ったように言って、でもアキラがじっと熱っぽい目で自分を見ているのでヒカルはすぐに機嫌を直した。

「言っておくけどおれ、おまえのためにしかこういうことしないからな」
「それ、さっきも聞いた」
「言ったのにまだ疑うから言ったんだって!」
「ごめん。ごめんね。もう疑わないから」

だから怒らないでくれとヒカルの肩にアキラが手を置く。

あっという間に追い越され、出来た身長の差を埋めるために、背伸びするのをヒカルが迎え、ようやく二人でキスをした。

いつまでもいつまでも飽くことなく唇を重ね、それからぎゅっと抱きしめ合う。

「ありがとう、色々」
「うん」
「キミと花火が見られてすごく嬉しい」
「…ん」

大好きだよと囁かれた言葉にヒカルが幸せそうに目を閉じた。

「おれも好き。大好き」
「ぼくもキミが好きだよ」

アキラもまた、ヒカルの胸に顔を押しつけて幸せそうに目を閉じる。

ひゅる。ドンと、花火は次々上がって行ったけれど、もう二人ともそれをちらりとも見てはいなかった。


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昨日、夏の祭典の帰りにゆりかもめ(ぎっちぎち)から外を見ていたらちょうどこんな感じだったんですよ。正にリア充爆発しろって感じでしたが、その中にベージュの無地の浴衣に黒の帯の男の人が一人で背中向けて立っていてですね、あ、ヒカルに似合うなと思ったわけです。

ありゃーヒカルが居たわーと、思わずまだお茶しているだろう皆さんにメールしそうになりましたが、そんなメール送られてもさっぱりわけがわからないだろうなと理性で止めて、その後はずっとこんな話を考えてました。

たまにはこういうメジャーな花火大会にも来るんじゃないかな。でも人混みが苦手なアキラにはキツイだろうから、きっとヒカルは別な場所から見ようとするんじゃないかな。

アキラのためには手も金も惜しまないヒカルでした。


あ、ホテルという手も考えましたが、アキラはあまり喜ばないだろうと、こっちの方がヒカルらしいし、喜ぶだろうなとこういう場所からの花火見物にしてみました。


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