「お願いします」と深く頭を下げられて、「ごめんなさい」としか言えなかった。
その瞬間までぼくは、自分がこんなにも自己中心的な人間だとは思っていなかった。
それなりの傲慢さや我の強さ、心の醜さは持っていると思っていたけれど、同時に人としての情と言う物も少しは併せ持っているものだとばかり思っていた。
例えば己が助かりたいが一心で蜘蛛の糸を掴むため、他者を踏みつけ蹴落とすようなことは出来ないと。
でもそれは買いかぶりであったらしい。
実際に命の選択に匹敵するようなことを問われた時、ぼくはなんの迷いも無く、自分だけの蜘蛛の糸を掴み取った。
進藤のご両親に、彼とは絶対別れないと情け容赦も無く告げたのである。
籍を入れないでも良いのではないか、公にしないでも良いのでは無いかと、すがるような言葉にも頑強に頭を横に振り、彼との関係を隠すつもりは無いときっぱりと言い切った。
だって日影のような関係では意味が無いでは無いか。
ぼくは彼が好きで、彼もまたぼくを好きで、そこに何の偽りも無い。それなのにどうして人に隠して添わなければならないのか。
人は一人では生まれて来ない。
独り立ち出来るまで、どれだけの苦労をかけ、どれほどの愛情を注がれて育って来たか。それを解っていて、それでもぼくは切ない願いを聞き入れることが出来なかった。
そして返す刃で自分の親をも切り捨てたのだった。
『ごめんなさい』
ぼくの言葉を両親はどんな想いで聞いただろうか?
『ごめんなさい、それでもぼくは―』
彼を選ぶことしか出来なかった。
「まだ落ち込んでんの?」
お互いの家を訪ねた帰り道、黙りこくっていたぼくの顔を唐突に進藤がのぞき込んだ。
「ここ、眉ん所皺が寄ってる」
とんと眉間を指されて言われる。
「キミが可哀想だと思って」 「ん?」
どちらの家でも散々だった。ぼくの両親に至っては二度と家の敷居を跨ぐなとまで言われてしまった。
事実上の絶縁宣言だった。
「なんでおれが可哀想なんだよ」 「だってこんな心の冷たい人間にこんなにも執着されてしまっているんだから」 「それっておれには嬉しいばっかりだけど?」
進藤の返事は屈託が無い。
「むしろおまえのが可哀想なんじゃねーの? おまえお父さん子ってヤツだったじゃん」 「そんなこと無い」 「あるよ、見てれば解る。お母さんのこともすっごく大事にしてた」
それでもぼくは両親を泣かせても進藤と生きることの方を望んだ。
「キミは何も解っていないんだ。ぼくは冷たい。冷たくて自分のことしか考えていない。キミはぼくがキミのために親を捨てたと思っているかもしれないけれど、それは誤解だ。ぼくはぼくのために親を切り捨てたんだ」
大切に慈しんで育ててくれた親を捨てた。それなのにそれに微塵の後悔も無いなんて。
「ぼくは信じられない程の自己中なんだ。もしキミが別れたいと言っても、ぼくが別れたいと思わない限り解放してなんかあげないよ?」
それでキミが傷ついたり、滅茶滅茶になったとしてもきっとキミを離さないと話すぼくの顔を彼は黙って見詰めている。
「キミのご両親にだってあんな非道いことを―」 「あのさ」
ふいに進藤が遮るように言った。
「おまえの言うことも解るし、それを否定したりなんかしないけどさ、おれは別にそれでいい。おれの意志に関係無く、したいようにするって言うならそれでいいと思うし、それでおれがボロ布みたいになったとしても絶対におまえを恨んだりしないよ」
「ぼくは鬼だ、心の冷たい鬼なんだ」 「うん、いいよ、鬼でもいい」
進藤はぼくの肩に手をかけるとそのままぐいと引き寄せて抱いた。
「でもさ、おまえ知ってるか?」 「…何を?」
温かい胸の中に抱き込められて体の力がすっと抜ける。
「鬼はさ、そんな風に泣いたりなんかしないって」 「泣いてなんか」
後はもう声にならない。
この日ぼくは彼と二人、人の道から外れたのだった。
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