SS‐DIARY

2012年04月07日(土) (SS)焼いた餅


もともと進藤は空腹に弱い。

食べるとすぐに元気になるが、お腹が減ってくると目に見えて元気が無くなるタイプで、しおしおと萎れて行くのが可笑しくて解りやすい。

ぼく自身はたぶん空腹に強いタイプなのだと思う。食べなければ食べないで過ごせてしまうタイプなので、進藤のそれも可愛いなあと思うくらいでそれほど気にはしなかった。

それがある日、ふと目にした光景で軽くショックを受ける。

事務室に用事があって棋院に出向いた帰り、寄り道をしながら駅に向かっていると、ふと何かが目に留まったのだ。

それは道の端に立ち止まっている二人連れで、正直言うと最初に目に留まったのは和谷くんのGジャンの背中だった。

(そうか、今日は)

森下先生の研究会の日だったと思い、そして次に何をしているんだろうと思ったら、すぐ側に居る進藤に気がついたのだった。

進藤と和谷くんはごく近い距離で笑いながらハンバーガーを食べていた。

見ればすぐ横はファストフード店で、買ってすぐに店内では無く道端で立ち食いしているのだと解った。

ったく、バカじゃねーのとか、んだよ、てめえにいわれたか無いよとか、小突きあっているのが口の動きで解る。

通り過ぎる人達は全くのスルーで、彼らもまた周囲を気にしない。ぼくだけがただ、人混みの向こうから彼らをじっと見詰めていた。

こんなふうに道端で物を食べた経験はぼくには無かった。ファストフード自体、つい最近まで入ったことが無く、親には立ち食いは行儀が悪いと許されていなかった。

確かに行儀がいいとは言えないが、けれどこうして見て居る限り、それは意外な程悪い印象を与えなかった。楽しそうで美味しそうで、いいなとすら思ってしまった。

『足りたか? それとももう一個行く?』

ふと唐突に和谷くんの声が聞こえて来た。

『いや、いいよ。充分』
『まったくおまえって面倒臭いよな』

その燃費の悪い体質をどうにかしろと言いながら、和谷くんはゴミをくしゃりと手の中で潰し、二人は何事も無かったかのように人の流れに紛れて去って行ってしまった。

バカのように一部始終を突っ立って見ていたぼくは、あることに非道く納得し、あることに非道く不愉快になっていた。

というのは進藤は突然、道端で物言いたげになることが時々あるのだ。大抵は昼過ぎや夕方などで、急に無口になったなと思うと何か言いたそうになって、でもやめてしまう。

ずっと何だろうと思っていたのだが、あれはきっと『お腹が空いた』と言いたかったのだ。

頼む、何か食べさせてと言いたくて、でもぼくには言えずに口を閉ざした。

(なのに和谷くんには言えるのか)

平気で言えて、あんなふうに二人で物を食べたりするのかと思ったら非道く腹が立ったのだ。

「どうせぼくは堅物だし」

道端で物を食べるなんてとんでも無いとでも言いそうに見えたのだろう。

(でも)

もし言ってくれたなら、別にダメだと突っぱねたりはしなかった。ましてやあんな笑顔が見られるのにどうして無下に却下したりするだろうか。

進藤にとってぼくがそんなことも言えない存在だということが非道く不快でむかついて仕方無かった。



「えーと、あのー」

夕暮れの市ヶ谷、ファストフード店の前で進藤に待っていてと言ったら、彼は非道く驚いた顔をした。

「なんで?」
「なんでもいいから、ちょっとここで待っていて」

そしてぼくは店内に入ると適当にハンバーガーとポテトを見繕って買って出て来た。

「はい」

手渡すと更に驚いた顔をされる。

「何? おれにくれんの?」
「だってキミ、すごくお腹が空いた顔をしていたじゃないか」

いつもの如く、手合いの後にどちらかの家に行くことになり、けれど進藤はお帯坂を下った辺りから突然無口になってしまった。

そしていい匂いのするファストフード店の近くまで来たら、口を尖らせてちらりと店の中を覗いたのだ。

(ああ、お腹が空いているんだ)

今日はお互い検討が長引いて、でもそのすぐ後で移動しようとしているから何も腹に入れる余裕が無い。

寄り道しようと言えばそれだけ帰る時間が遅くなり、だから言えないのだと解った途端、自然に足が止っていた。

「食べていいよ。無理して我慢することなんか無いんだから」

何が好きか解らなかったので、バーガーは二種類買って来た。進藤は結構健啖家だから二つとも食べてしまうかもしれず、でも別にそれでいいと思った。

「…サンキュ。実はすっげえ腹減ってた」

恐る恐る受け取って、進藤はぼくににこっと笑った。

「おまえに奢って貰えるとは思わなかったなあ」
「そりゃあ、あんなに物欲しそうな顔していたら」
「うん、でもさ、こういうの嫌いなヤツは嫌いだろ」

実際行儀の良いもんじゃないしと、そう言いつつ嬉しそうにバーガーを一つ取りだして包みを取る。

そのままかぶりつくのかなと思ったら、進藤はそれをぼくに向かって差し出した。

「ほい、おまえも食えよ」
「え? ぼくは別に―」
「おまえも腹減る頃じゃねーの? 一人で食うのは寂しいし」

言われて、黙ってバーガーを受け取った。

「頂きます」
「いただきますっ」

ぼくの言葉に彼も言う、なんだかまるで打つ時みたいだなあと思いながら生まれて初めて道端で物を立ち食いした。

「あー、生き返る。マジおまえ天使だわ」
「大袈裟な」
「だっておれ、今日は昼も食べて無かったからさあ」
「そうなのか?」
「うん。打ち掛けん時、古瀬村さんに捕まっちゃって、それで昼飯食いっぱぐれちゃって」

その上午後も目一杯頭使ったもんだからもうエネルギーほとんど残って無いと言われて気の毒になった。

「それは…確かにお腹が空くね」

一局打つのはそれだけで、マラソン並に体力を消耗するものだからだ。

「だからおまえがこれ買ってくれてすっごく嬉しかった。ありがとうな」
「別にこんなこと…」

なんでもないことなのにと思う。

「本当はこういうの嫌いだろ? でも店ん中入っちゃうとなんだかんだで時間食うから」
「嫌いじゃないよ、誰とでもするってわけでは無いけれど」

キミと一緒に食べるのなら大丈夫、いつでも言ってくれていいよと言ったら進藤は上目使いにぼくを見た。

「そっか? この前ここで和谷と食ってたら、おまえ鬼みたいな顔で睨んでたから、てっきり行儀悪いって怒ってるんだと思ってさぁ」
「気付いていたのか」
「気付くよそりゃあ」

あんなおっかない顔で睨んでいたらと言われて、顔から火が出るような気持ちになった。

「違う、あれは」
「うん。おまえも腹減ってたんだな。今それ解った」

だから今度からおまえも腹減った時は遠慮せずにおれに言えよと、今度はおれが奢ってやるからとまで言われ、訂正することが出来なかった。

「…うん、ありがとう」
「でもさ、なんだな。誰と食っても美味いけどさ」

おまえとこうして立ち食いするのが一番美味いかもと言われて、顔が茹でたように真っ赤に染まった。

「なんか一緒にワルイことしてる感がたまらないよな」と、深い意味など無く言っているのが解っているのに、それでもぼくはもう進藤の顔を見られない。

むせそうになるのを必死で堪え、でもとても幸せな気持ちでハンバーガーの残りを食べたのだった。


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※天然アキラキラー六段、進藤ヒカル。


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