SS‐DIARY

2012年03月20日(火) (SS)パーソナルスペース

構われるのが嬉しいというのは一体どういう感情なのだろうか?

一人っ子で、しかも非常に忙しい親の下に生まれたアキラは、物心つくまで放って置かれたと言っても過言では無い。

もちろん育児放棄されていたわけでは無く、ちゃんと世話をされ愛情も注がれてはいたけれど、たぶん一般の親子よりはずっと密着度が低かったのでは無いかと思う。

そのせいかアキラは一人で居ることに苦痛を感じず、むしろ人と関わることの方に苦を覚える性質になった。

幼稚園、小学校、中学校と上がり、一見上手に皆の中に溶け込みながら、それでも決して友人と言える者は作らなかった。

静かでにこやかで頭が良い。そして並外れて綺麗な顔立ちをしている。それが概ねのアキラに対する印象で、でも一歩踏み込んだ質問をしたらたぶん誰も答えられなかっただろうと思う。

それくらいアキラは他人を自分に踏み込ませなかったのだ。

長い間の不可侵のテリトリー。

それが最近どういうわけか、全く無視して踏み込んで来るバカがいる。

言わずと知れた進藤ヒカルだ。

『あ、おまえも今帰り? 今からみんなでメシ行くんだけどさぁ』
『今日おまえヒマだろ? 新宿行くから付き合えよ』

アキラの都合や迷惑そうな顔など気にせずに、ヒカルはどんどんアキラを自分が行く場所に連れ出してしまう。

『ぼくは別に興味は…』
『騒がしい所は苦手だから』

などと断ろうとするものならば、じゃあおまえが好きな所に行こうとか、来るだけ来てダメだったら帰ればいいじゃんとこう来る。

ヒカルはその上、アキラの食べている物にダメ出ししたり、服の趣味が悪いとダメ出ししてきたりするのだ。

『おまえさあ、顔が良いから見られるけど、そうじゃなかったら結構悲惨な格好だぜ?』などと、服は人に不快感を与えず着心地が良ければいいと思っているアキラには、余計なお節介としか思えないことを言って来るのだ。

『おれが似合うの見繕ってやるから、今度の休み空けておけよな』

はまだカワイイ方で、非道い時にはいきなり家の近くから呼び出しの電話をかけて来ることもあった。

今日もそうで、雑誌の取材の後、何も予定が無いから早く帰って棋譜の整理でもしようと思っていたら、別の用事で来たヒカルに掴まってしまった。

「あ、おまえも来てたんだ。おれこの後、何も用事無いからおまえも無いなら待ってろよ」

そしてアキラの返事も聞かずにエレベーターに乗ってしまう。

「用事あるなら帰っちゃっていいからな」とは、ドアが閉まる直前に思い出したように付け足された言葉だったが、それで帰れるわけも無い。

「まったく…」

一人手持ち無沙汰に一階ロビーで待ちながら、アキラは深い溜息をついた。

ヒカルはどうだか知らないが、アキラはそんな礼を欠くようなことは出来ないように躾られている。だから行かないにしてもきちんと会って断らねば気が済まず、結局いつもこうして待たされることになるのだ。

「あれー、アキラ何してるの?」

少ししてエレベーターから降りて来たのは兄弟子の芦原で、アキラを見ると嬉しそうに近づいて来た。

「今日取材? もう終わったんだ? だったら一緒にコーヒーでも飲みに行く?」
「あ、いえ…進藤を待っているので…」
「ああ、そういえば彼、上に居たねぇ」

そしてなんとは無しにそのまま立ち話になだれ込む。

「本当にアキラは進藤くんと仲が良いよね」
「そんなことは無いですよ」
「だって昔はそんな風に友達を待っていたことなんて無いじゃない」
「それは―そうですね」

確かに言われてみればこうして誰かを待つということは仕事以外で無かったような気がする。

「アキラは幼稚園の時も一人でお絵描きしていたり、絵本を読んでいたりしていて、誰かと遊んでいることってまず無かったから」

下手に小さい頃から知っている上に、忙しい母親に代わって迎えに来てくれたりもしたものだから芦原は実に自分のことを良く知っている。

「そういえば幼稚園の菜摘先生、綺麗でカワイイ人だったよねぇ」

その上悪気は無いのだが、兄弟子の話は脱線しがちで、今も何やら別の方に話題が移って行こうとしている。

「お遊戯会の時のアキラ、猫の王子の役で格好良かったな―」
「芦原さん」

とめどもなく続く話に思わずアキラは口を挟んでしまった。
「何?」
「芦原さんは何か用事があるんじゃないですか? こんな所でぼくに引っかかっていたら間に合わなくなりますよ」
「うーん、別に用事は無いんだけど…ちょっと長話になってしまったよね。ごめん、ごめん」

のんびりしていて鈍感なようで、これで芦原は結構察しが良い。今もアキラが迷惑がっていることに気がついて、けれど自分は気分を害した風も無く、あっさり笑って解放してくれた。

「ごめんね。緒方さんにもよく怒られるんだけど、ぼくって話好きだからさ」
「いえ、ぼくの方こそごめんなさい。話が嫌だったわけじゃないんです」

うんうん、わかってる、わかってると芦原は小さい子にするようにぽんぽんとアキラの頭を軽く叩いた。

「でもさ、そんなアキラがずっと一緒に居られるんだから、やっぱりアキラと進藤くんは仲が凄く良いんだと思うよ」

パーソナルスペースって知ってる? と、それでまた話が長くなってしまったのだが、それは意外にも興味深くてアキラは聞き入ってしまった。

ようやくヒカルが戻って来た時にもまだ話は続いていて、ヒカルはヒカルでこれがまた、アキラに関しては全く遠慮というものをしない質だから、すぐさま会話に割って入った。

「なんだよ、楽しそうに何話してんの?」
「ああ、進藤くん。今ね、アキラとパーソナルスペースの話をしていたんだ」
「パーソナル? 何?」
「うん、それはね、それ以上近寄られたら相手に不快感を覚えるっていうもので―」

ミイラ取りミイラになる。

ヒカルもそのまま話に聞き入ってしまった。

要は自分と他人との距離の話で、相手との親密度によってそれが変わって来るというものだった。

「ふーん、だったらおれとおまえってなんだろう?」
「キミと…ぼく?」

いきなり聞かれてアキラはきょとんとした。

「家族でもなんでも無いけど、でも結構距離近いよな」

そう言っている今もヒカルはアキラに負ぶさるようにくっついている。確かに有り得ない距離の近さだった。

「さあ…なんだろうね」

本当にわからなくてアキラはそう言った。

実際、ヒカル以外の誰かとこんなにべったりくっつくことは無いのだ。実の親とだって無いかもしれない。

「じゃあ、キミにとってはなんなんだ?」
「は? おまえ?」

頓狂な声を上げて、それからヒカルも考えこんだ。

「…なんだろうな」

これもまた見当も付かないという表情である。

「つまり、だから最初からぼくが言っている通り、君達は仲が良いってことだよ」

最後は半ば強引に芦原が纏めてしまったが、アキラはその後、家に帰ってからもヒカルとの距離感が気になって仕方が無かった。

頬と頬とが触れ合っても不快にならない距離、それは一体なんだろう。

パソコンを使い、検索をかけて調べて行くうちに、ふっと有る文字に目が留まった。

『恋人』

(まさか、そんなことは…)

無い無い無い無いとその場で即座に打ち消した。

けれどそれが実は真実だったことをアキラが知るのは、もう少し後のことになる。

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検索で『恋人』と出て、なるほどと納得するのがヒカル。まさかと打ち消すのがアキラです。


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