どちらかと言うと犬と呼ばれることの多いヒカルだったが、最近はアキラの方が犬なんじゃないかと思うことが多い。
先日、和谷達と飲みに行ったヒカルは、終電に揺られて家に帰る途中だった。
何駅目かで止まった時、吐き出される人混みの中にヒカルは思いがけずアキラを見つけた。
接待でもあったのか、きっちりとしたスーツ姿のアキラの横顔に、ヒカルはほとんど反射的に声をかけた。
「塔矢」
気がついても気がつかなくてもいい、そんな気持ちだったけれど、アキラはすぐに気がついてヒカルを見ると驚いたような顔をした。
そして何を思ったか、その場でくるりと踵を返すとたった今下りたのであろう電車に再び乗り込んでしまったのだった。
プシュッと、呆気なくドアは閉まり電車が走り出す。
一連の出来事を見ていたヒカルは慌てて人をかき分けるようにしてアキラが乗り込んだドアの前まで移動した。
「塔矢っ!」
半ば怒鳴るようなヒカルの言葉をアキラはきょとんとした顔で見詰めている。
「進藤、キミこの路線も使うんだな。珍しい」 「珍しいってのはこっちのセリフだって。おまえ何下りてんだよ。さっきの駅で乗換えなきゃいけなかったんじゃないのかよ」 「うん、そうだけどキミが呼ぶから」
何か用があるのかなと思ってと、あまりにも暢気な言葉に肩の力が抜けてしまった。
「おれはただ…おまえ見つけたから声かけただけだよ」
おやすみとか、またとか、そんな軽い気持ちだったんだと言われてやっとアキラも納得したらしい。苦笑したような笑顔になった。
「そうだったのか。でも用が無かったならそれはそれで良かったよ」
用があって、それで会えなかったのだとしたらその方がずっと嫌だからと言われて、ヒカルはなんだか胸の奥がむず痒いような気持ちになった。
「でも…どうするんだよ。これ終電だぞ? もうこの先で乗換えなんて出来ないだろ」 「次で下りてタクシーでも拾うよ。週末じゃないし、そんなに待たないで乗れるだろうし」 「ってか、だったらおれんち来て泊れよ。…散らかってるし、別に何も無いけど、それでも一応風呂と布団と着替えくらいはあるから」 「…だったら甘えてしまおうかな」 「おう、甘えろ、甘えろ」
おれが声かけちゃったせいでこんなことになったんだしさと、半分申し訳無く思いながらヒカルは言った。
半分というのは、いくら呼ばれたからと言って、後先考えず来てしまうこいつもバカだと思う気持ちもあったからだ。
そしてよくよく考えてみると、こういうことは今までにも何回もあったような気がするのだ。
ヒカルはそんな大した理由も無く、軽い気持ちでアキラを呼ぶ。又は軽い気持ちでアキラを探す。するとアキラはもれなく他の全てをぶっちぎってでもヒカルの元に来てしまうのだった。
それはまるで忠犬が、名を呼んだ主人の元に駈け寄るかの如く。
「…これからはおれ、もうちょっと注意するわ」
家に向かう途中、夜食とか言ってコンビニで買ったおでんの袋を揺らしつつヒカルは言った。
「何が?」
これも又、泊らせてもらうんだからと翌日の朝食用のパンなどを買った袋を揺らしつつアキラが答える。
「おまえのこと気軽に呼ぶの止めようってこと。だっておまえ、なんも考え無いでほいほいおれの方に来ちゃうじゃん」
こんな終電に乗りそびれるくらいのことならばいい。もっと何か深刻な事態でうっかり呼んでしまったなら―そうヒカルは考えてしまったのだ。
「迷惑か?」 「いや、そういうことじゃなくてさ、例えば変な話、おれが死にかかってたとして、それでおまえのこと呼んだりしたら、それでもおまえ今みたいに来ちゃいそうじゃん。気持ちよく三途の川とか渡って来そう」
そんなの絶対ダメだからとヒカルが言った言葉にアキラは「なんだ」と返した。
「それは呼ばなかったらむしろ怒るよ」 「え?」 「ぼくはキミといつも居たい。もしも万一そんな時があって、それで呼んでくれなかったとしたら、一生、永遠にキミのことを恨んで暮らすね」
いや、死んでからも絶対に許さない。恨んで恨んで恨み続けてやると言われてヒカルは絶句した。
「………って、おまえって怖ぁ」 「そうかな」
それでも本当に呼ばなかったら怒るからと笑う笑顔は艶やかで綺麗だ。
その笑顔が好きで、でも恐ろしいとヒカルは思った。
恐ろしいけれど、たまらなく好きだ――とも。
「じゃあ、なるべくそういうことにならないようにする」 「死なないように?」
笑いながらアキラが言うのに苦笑しつつ答える。
「おまえより一分一秒でも長く生きられるように心がけることにする」 「ふうん」
まあ、それはそれで殊勝な心がけだよねと言いつつ、それでもきっともし本当に自分に何かあったなら、そしてその時に自分がひとこと呼んだなら全てを捨てて来てしまうんだろうなとアキラを想い、例え恨まれても憎まれても絶対に呼ぶまいとヒカルはそっと決めたのだった。
※※※※※※※※※※※※※ いや、呼んでやれよヒカル。
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