キッチンのカウンターに乗せたままの携帯を充電器に戻すことをせずに放置する。
もしここで鳴ってもぼくの耳には届かないし、そもそもマナーモードにしているので震動しか伝わらない。
その震動も寝室に届くわけもなく、だからキミがぼくにどんなに連絡を取りたいと思ってもぼくが電話に出ることは無いんだと、少しだけ溜飲を下げたような気持ちでベッドにもぐりこみ、ざまみろと呟いた。
今晩一晩苦しめばいい。
どうして出ないと苛立って、そして悶々と眠れずに過ごせばいいのだ。
喧嘩は日常茶飯事で、しない方がおかしなくらいいつも彼とは言い争ってる。
プライベートでも碁のことでもお互い我慢をしないから、気がつくと結構激しい言い合いになっていて周囲がどん引くことも多い。
「大体進藤がいい加減なのが悪い」
ぼくが言ったことを平気で破るし嘘をつくし、そのくせ反省というものをしないから結局同じ所で躓くんだと胸の内で散々文句を並べ、けれどしんと静まった寝室に逆上せたようだった頭がゆっくりと冷えて行くのを感じる。
今日は喧嘩さえしなければ一晩共に過ごすはずだった。
久方ぶりの逢瀬をとても楽しみにしていたのに結局一人で眠ることになるなんて…。
鎮まった怒りの代わりにこみ上げて来たのは寂しさだった。喧嘩して、自分は間違っていないと今でもそう思っているのに、進藤が居ない寂しさにもう折れそうになっている。
何度も何度も寝返りを打って、真っ暗な部屋の中、どれだけ長くぎゅっと目を瞑っても眠ることが出来ない。
「電話…」
もしかして電話をかけて来ただろうかとふと思い、思ったらもう確かめに行かずにはいられなくなった。
女々しいと自分を笑いつつ行ったキッチンの、カウンターの上に携帯はそのまま乗っていたけれど、着信があった気配は無い。
その瞬間、自分でびっくりするほど落胆した。
「…意地っ張り」
そうかそんなに怒っているのかと思ったら、腹が立つより悲しくなった。
こんなふうに、結局一人で寂しくなっている自分が哀れで悲しいし、そんなぼくの気も知らず、怒りに任せてふて寝でもしてしまったのだろう彼が恋人であることがまた悲しい。
この恋は大丈夫なのか。
このままぼく達は続けて行けるのか。
(もし…)
もしもこのまま永久に電話が鳴らず、メールも何も来なくなって気持ちが離れて行くのだとしたらそれはどんなに恐ろしいことだろうかと、考えて震え、気がついたらぼくは自分で自分の体を抱いていた。
「バカだな…ぼくは」
こんなにキミを好きでバカみたいだと呟いた時、唐突にカウンターの上の携帯に着信があった。
(進藤だ)
嬉しくて反射的に手を伸ばし、けれどまだ残っている一欠片の意地に、躊躇っているうちに電話は切れてしまった。
「…あ」
またかかってくるだろうか、それとももうかかって来ないだろうか、自分からかけるべきか迷っている内にもう一度手の中の携帯が微かに震えた。
今度は電話では無くメールだった。
『まだ怒ってんの?』 『おれ』 『下に居るから』 『怒って無いなら部屋に入れて』
思わず窓に駈け寄って、でもそこからは下が見えないことに気がついて電話をかけようと携帯のボタンを操作する。
「―いや」
(進藤が下に居るのに)
直接話さずどうするんだと、ぼくは携帯をカウンターの上に置くと、パジャマのままサンダル履きで外に出た。
いくら住んでいるマンションでも人に見られたら恥ずかしいしみっともない。だらしないことこの上無いし、見ようによっては不審者だ。
でもそんなことも気にならないくらいに気持ちが急いていたから、エレベーターが上がってくるのも待て無くて階段を駆け下りる。
「進藤」
オートロックのドアの向こう、佇んでいる影は明らかに彼で、そう思ったらつまらない意地なんか吹き飛んでしまった。
「進藤っ」
飛び出したぼくを見て進藤は驚いた顔をした。
「…塔矢」
でもそんな彼を見た瞬間、ぼくはさっき感じた寂しさと、それを凌駕する嬉しさとに苛まれ、何も言うことが出来なくなって、黙って彼に抱きついたのだった。
※※※※※
とにかく早く部屋に戻れや。
|