SS‐DIARY

2011年06月06日(月) (SS)first mission

怖い。

とにかく怖い。

正座している足が震えて、裸足で逃げ出したくなるくらい怖かった。

どんな高段者と対峙してもこんな気持ちにはならなかったのに、今進藤ヒカルを前にしてアキラは恐ろしくてたまらなかった。

「じゃあ、おまえシャワー浴びて来いよ」
「いや、キミが先でいい」

不満げに去られて、でも少しほっとした。

どうしよう。これからどうなるのかと考えたら、もうとても座ってはいられない。

けれどもし逃げ出したりなんかしたら、どれ程ヒカルを傷付けるかと思うと逃げ出すことも出来ない。

ずっと好きだった相手と気持ちが通じ合い、目出度くそういうことをすることになって、喜ばしいはずなのにアキラは怖くてたまらなかった。

まずすることが怖いし、それでどうなるのか考えると怖い。上手く行かなかったらと思うと憂鬱な気分になるし、万一これが元で壊れたらと思うと体中の血が凍るような気分になる。

(やっぱり、頷いたりなんかしなければ良かった)

おまえのことが好きなんだけど、おまえはおれのこと好き?までは良かった。

おずおずとぎこちないキスをして、壊れ物を包むように抱きしめ合った、ここまではいい。でもその後で思い詰めたような顔で「させてくんない?」と言われた時には断れば良かったと思っている。

そう、少なくとも今はダメだと断れば良かった。

今までそういうことを考えたことが無いではないが、でも今、現実として直面して気持ちが全く追いついて来ない。

ヒカルの方はどうだかわからないけれど、自分ははるか後ろに置いてきぼりにされた気分だ。

(なのにこのまま始まってしまうんだ)

やはりダメだ、だってもう手足の震えは体中まで広がって、息をするのも難しい。

このままもし始められてしまったら自分は死んでしまうんではないかと、普段理性的な割にあまりにも極端なことをアキラは考えていた。

「…やっぱり逃げよう」

怒られるのは覚悟。怒鳴られるのも覚悟。傷付けて嫌われてしまうかもしれないけれど、こんな気持ちで始めるよりはよっぽどいい。

ということで、市場に引かれていく牛のような気持ちで連れて来られたホテルから卑怯にもアキラは逃げだそうとした。

すると、水音で気配が分かろうはずも無いのにいきなりバスルームの扉が開いてヒカルが大声でアキラに怒鳴った。

「逃げるなっ!」

ひっと思わず喉の奥で悲鳴を上げてしまったくらい、それは激しい怒声だった。

「今、体拭いて出てくから、それまで絶対そこで待ってろよ。もし万一おれのこと置いて逃げ出したりなんかしたら、おれは一生おまえと口もきかないし、目も合わせてやんないからな」

人生に置いて最も軽蔑する人間リストのトップに名前を載せてやるとまで言われてはアキラももう出て行くことは出来なかった。

市場に引かれて行く牛改め、今度は叱られる前の子どものような気持ちでベッドの端に腰掛けて待っていると、やがてヒカルが戻って来た。

素っ裸で戻って来るのではとそれも少し恐れていたが、ヒカルは備え付けのバスローブを纏っている。

「あのさ」

ずかずかと歩いて来て、アキラの隣にどかりと座っていきなり言う。

「あのさ、わかんないでも無いんだけどさ、おれだってマジ怖いんだから置いてかないでくれる?」
「え?」
「こんなこと、生まれて初めてするんだぜ? 怖く無いわけ無いじゃん。なのにおまえはずっと死にそうな顔でさあ、隙見て逃げだそうって気が満々でさ」
「だって、こんないきなり進むとは思わなかったから」
「だからって進まなかったらきっといつまでも進めないだろ、おれ達」

こういうことにはタイミングがある。それを逃したらたぶん出来ないままずるずる伸びる。

それが嫌で勇気を振り絞ったのだと言われて、アキラはようやくヒカルを見た。

「あの…ごめん」
「いいよ、もう」

いいと言いながら、でも口調は拗ねている。

「ものすごく怖くて、じっとしてなんかいられなくて…ごめん」
「そんなのおれも同じだし」

怖くて怖くてお前の顔も見られないのに、どうしてそんな冷たいことが出来るのか解らないと言ってからぼそりと付け足した。

「こんなんだったら、七番勝負のがずっと楽だ」

少し前、アキラとそれを戦ったヒカルは五キロ痩せた。アキラに至っては薄くなりすぎて入院してしまったくらいだから、それを楽だと言う今がどれだけキツいのかがよく解る。

「…それでもしたいんだ?」
「それでもしたいよ」
「あんまり良いものじゃないと思うけど」
「そんなの全然関係無いよ」

繋がりたいってそれだけで他に何も望まないと、それはぶっきらぼうだったけれど、アキラの胸には腑に落ちた。

「それでも…どーしても嫌かよ」

溜息と共に尋ねられてアキラはほうっと肩の力を抜いた。そうだよ、これは別に戦いじゃないじゃないか。

有る意味戦いではあるのかもしれないけれど、どちらかというと慈しみ育て上げる共同行為に他ならない。

(だったらこんな態度じゃ失礼だよね)

踏み出してくれたヒカルにあまりに失礼だと、そう思ったら割り切れた。

「…シャワー浴びて来る」
「えっ?」

その驚きように苦笑する。

「シャワーを浴びて来るって言ったんだ。すぐに戻って来るから…」

だから逃げ出さないでそこで待っていろと言ったらヒカルは大きく目を見開いて、それから笑み崩れてアキラを見た。

「待ってる。じっと大人しく待ってるから」

だから速攻で戻って来てと甘える声でねだられて、アキラはふっと口の端を緩めて優しい笑みで返したのだった。


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最初はギャグのつもりだったんですが、なんとなく真面目に落ち着きました。


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