SS‐DIARY

2011年05月22日(日) (SS)知る人ぞ知る


塔矢アキラは多くの人々に潔癖症であると認識されていた。

そもそもが人との不要な接触を嫌がる質であり、それは飲食にも現われていて、人が口をつけた物には絶対に箸をつけなかった。だから同じ箸でつつきあう鍋はNGだったし、中華などの大皿料理も好きでは無かった。

親しい者同士がよくやるような、「ちょっと一口」というような行為も、子どもの頃からの付き合いである兄弟子達とすらしなかったし、ジュースの回し飲みなど考えられないといった雰囲気を漂わせていた。

それが案外そうでも無いらしいというふうに変わって来たのは最近のこと。

進藤ヒカルとの間で、今まで有り得ないと言われていたことをアキラがするようになったからだ。

「あ、塔矢何飲んでんの? おれも飲みたい」

アキラとは逆に犬のようだと評されるヒカルは誰に対しても人懐こい性格だったが、それはアキラに対してもそうで、実に気軽に懐きに行く。

「なあなあ、一口飲まして」
「いいよ、でも別にただのお茶だよ?」
「新製品じゃん。二十八茶って何と何が入ってんだ? おもしれー」

そしてアキラが飲みかけていたペットボトルの茶を取り上げて、ごくごくととても一口とは思えない量を飲み干して顔を顰める。

「うわ、苦っ、よくこんなの飲むな、おまえ」
「キミは炭酸飲料の飲み過ぎだよ。これは体にいいものばかり入っているんだから」

たまにはキミもこういうものを飲めと、随分減ってしまったにも関わらずアキラは腹をたてた風も無い。

又ある時は、打ち掛けの時珍しく連れて行かれたのであろうハンバーガーショップで、物欲しそうにアキラが食べているチキンバーガーをヒカルは見詰めていた。

「…何?」
「それ、美味そうだなあと思って」
「だったらキミも同じものにすれば良かったのに」
「だって今日は絶対、照り焼きの気分だったんだよ。朝からそう決めてたんだって」

でもおまえが食べてるのを見たらすげー美味そうで食いたくなったと。暗にどころかはっきりと顔が食わせてとねだっている。

「…食べる?」
「うん。その代わり、おまえもおれの一口食っていいから!」

そしてヒカルはアキラのチキンバーガーに齧り付くと、いかにも美味しそうに咀嚼してから飲み込んだ。そして自分の囓りかけの照り焼きバーガーをぐいと勧める。

「はい。おまえも食えよ」

アキラは一瞬躊躇ったかのように見えたけれど、すぐに嬉しそうににっこりと笑って上品に一口囓り取った。

「美味しいね」
「な? な? 照り焼き最高だろ」

ヒカルはもう上機嫌で残りの照り焼きをあっという間に平らげた。

などというような光景を日々見せつけられるようになり、皆はなんとなくアキラは実はそういうのも大丈夫な性格だったのだと思うようになっていた。

それが間違いであることにほとんどの人間は気がつかなかったが、やがて思い知らされることになる。

最初にそれを思い知らされたのは和谷だった。

五月というには真夏のような暑さのその日、棋院での指導碁を勤めていた彼は休憩時間に控え室に戻り、自販機で買ったお茶を飲んでいた。

隣にはやはり同じ指導碁を担当していたアキラが座っており、偶然にも同じお茶を飲んでいたのだけれど、疲れてぼんやりとしたせいもあり、和谷はうっかりアキラのお茶を自分のと間違えて飲んでしまった。

口をつけて飲み込んでからあっと気がつき、「悪い」と悪びれずに謝った。

「悪かったな、塔矢、間違えておまえの茶、飲んじまった」
「…ああ」

振り返って事態を察したアキラはにこやかに微笑んで気にしないでと言ったけれど、次の瞬間立ち上がってしたことに、その場にいた皆は一斉に凍った。

アキラはまだ半分以上残っているお茶をそのままゴミ箱に捨ててしまったのである。

「ちょ…塔矢っ」

汚いモノ扱いされたようでムカっ腹をたてた和谷が思わず怒鳴ると、アキラは和谷とゴミ箱と両方を見比べ、それから気がついたように「ごめん」と言った。

「そうだね、中身を捨ててから捨てるべきだった。ぼくとしたことが申し訳無い」

そして一度捨てたペットボトルを拾い上げると、トイレに行って中身を流し、改めてゴミ箱に捨てたのだった。

もう和谷も何も言えない。


そして次に被害に遭ったのは門脇で、地方での仕事でたまたまアキラと一緒になり、その冷ややかさに嫌という程当てられたのだった。

不幸にして彼は和谷以上にアキラのことを表面的なこと以外何も知らず、お上品ではあるものの、あの進藤ヒカルと仲良く付き合っているくらいだから、中身も同程度なんだろうと認識してしまっていた。

アキラが年下であることも手伝って、だから良く言えば気さくに、悪く言えば非常に馴れ馴れしく振る舞ってしまったのだ。

「お、塔矢くんだっけ。今日はよろしく」

朝一番、肩に手をかけた瞬間に嫌な顔をされたのは幸運にも門脇は気がつかなかったけれど、側に居た何人かは気がついた。

触らぬ神に祟りなし、何事も起こりませんようにと祈っていたかどうかはわからないけれど、それは昼間、休憩時に皆で食事をしている時に起こった。

「君、何食べてるの?」

門脇はカレー、アキラは季節のメニューだとか言う海鮮丼を食べていた。

「さあ、よくわかりませんけれど、鯛と甘エビと他にも色々入っているみたいですね」
「鯛? ひょーっ、高級魚だな。昼から随分豪勢なこった」

豪勢も何もホテル内の食堂のメニューなのだから、値段もたかが知れているのだけれど、門脇は生意気だとひょいとアキラの海鮮丼に箸をつけると鯛を一切れ持ち去った。

「若いうちから分不相応な良い物を食べていると、ろくな大人にならないからな、おれが代わりに食べてやる」

そして皆が呆気に取られている中、二切れ目に箸を伸ばした時、門脇はアキラの視線に気がついたのだった。

にこりとも笑わないその顔は「よくも人の食べている物に手を出したな」とはっきり言っている。

「っと……あれ? もしかして怒った? 悪い悪い。じゃあおれのカレー食ってもいいからさ」

噂ではアキラはヒカルとは日常的にそういうやり取りをしてるはずである。これで帳消しと思った門脇はカレー皿を差し出してアキラを見てから「うっ」と呻くことになる。

アキラの顔はさっきより更に険しくなっていて、「あなたの食べかけの物をぼくに食べろと?」と言っていたからだ。

怖い。

はっきり言って山道でヒグマに遭ったよりも怖いと門脇は思った。

「す…すみませんでした」

思わず負けましたと言いかけて慌てて言い直したけれど、動揺はそのまま残ったらしい。午後に予定されていたアマチュアとの対局で、門脇はプロとしては有り得ない非道い打ち方で、ボロ負けをしてしまったのだった。

そして同じような出来事が様々な場面で繰り返され、人々は嫌という程知ることになる。

塔矢アキラは確かに潔癖症では無い…のかもしれない。

誰かと食べ物を分け合ったり、一つのペットボトルから回し飲みをしたりもする。最近では鍋も食べられるようだし、中華の大皿や取り分けて食べる料理も平気になったらしい。

しかしそれは進藤ヒカル限定で、それ以外の人間には決して許さないのだと。



「塔矢、なあ、おまえの食ってるプリン一口食わせて」

ヒカルがねだるのにアキラは微笑む。

「いいよ、キミが食べている唐揚げ串をぼくにも食べさせてくれたらね」

知る人ぞ知る。知らない人は全く知らない。それは奇跡の光景であった。


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「一口」が苦手な人も居ますが、私は好きなタイプです。

そういうのが苦手な人には言わないし、個人的に好きな人にしかそもそも持ちかけもしませんが、人生に於いて親しく付き合いたいと思う人は、概ね相手も「一口」が好きな人が多いように思います。

一緒に食を楽しめるか否かは結構重要なポイントだと思います。


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