SS‐DIARY

2011年05月12日(木) (SS)柵


「ただいま」と言った声の調子で、あ、こいつ機嫌悪いと思った。

「おかえり、言ってたより全然早かったじゃん」
「…途中で抜けて来たから」

疲れたように言って、持っていた紙袋を重たそうに床に置く。

「何それ」
「知らない」

知りたくも無いという雰囲気でさっさと奥に行ってしまうのに肩をすくめて中を見る。

「あっ、これ吉祥寺の有名なケーキ屋のケーキじゃん」

それと他に高そうな紅茶の缶とジャム、それにワインまで入っていた。

「今日指導碁に行ったのって、食品会社の社長さんだっけ?」
「違う」

××電機の重役の人だよと言いながら、バサッと布の音がするのは、着ていた服を乱暴に脱ぎ捨てているかららしい。

いつも几帳面でどんなに疲れて帰って来ても脱いだ服をそのままにしておけない塔矢がそんなことをしているということは、それだけ嫌な目に遭ったということなんだろう。

「どーしたん?」

真っ暗なままの寝室をそっとのぞき込んでみたら、塔矢は下着姿でベッドの真ん中に少し背を丸めるようにして寝そべっていた。

「何? 脂ぎったオヤジにセクハラでもされた?」
「違う。園田さんはお父さんの代からの知り合いで、そんなことをする人じゃないから」
「だったらなんでそんなに怒ってるんだよ」
「ぼくは別に怒ってなんか――」
「怒ってるだろ? 眉間に皺寄せちゃってさ」

それ、おまえが怒っている時の癖だからと言ったら塔矢はじろりとおれを睨んだ。

「解ったふうに言われるのは好きじゃない」
「へいへい」
「でも、利用されるのはもっと好きじゃない」

ぽつりと呟かれた言葉にえっと思って促すと、塔矢はおれから視線を外し、またぐったりしたようにベッドに頭をつけて息を吐いた。

「今日、指導碁をしたのは園田さんなんだけどね、その部屋に知り合いだとか言う議員も来ていて」

その人も碁が好きだからと一局打つはめになったらしい。

「なんだよ、契約違反じゃん。だったらそのおっさんの分も指導碁料貰えばいいのに」
「くれたよ。ぼくは断ったんだけど、無理にお願いしたからって園田さんが自分の分を倍にして払ってくれた」

それもぼくは不満だったんだけどと、言い淀んで塔矢は再び眉を寄せた。

「その人と打っている所を写真に撮られた」
「写真?」
「そう。後援会の会報に載せるんだって…。塔矢棋聖と打ったなんて滅多に
あることじゃないから記念に載せさせて欲しいって頭を下げられてしまってね」

嫌だったけれど断れなかったと言った。

「えーと、それって」
「よくあるんだよ。選挙の前とか、大企業のトップが代わる時とか」

政界にも財界にも囲碁を嗜む人は多い。だから元名人の塔矢行洋を知る者は多く、その二世である塔矢アキラと繋がりがあるということはプラスイメージになるのだという。

「でも、おまえが知ってるのはその、園田さんて人の方だろ?」
「そうだよ。でも会報に載った時にはきっと違う書き方をされる。いかにもぼくと親しくて、日頃から打っているように紹介されるんじゃないかな」

それがとても嫌なんだと塔矢は言った。

「親しくも無い、知り合いでも無い人のためにぼくとぼくの碁が利用される。鳥肌がたつほど不愉快だ」

けれど昔からの知り合いの手前、無下にも出来ない。それが更に不快なのだと塔矢は言ってから目を閉じた。

「…疲れた」
「お疲れ」

側に座ってぽんと体に手を置いたら、塔矢はその手にぎゅっとしがみついた。

「ぼくはぼくを利用する人と付き合いたくなんか無い」

なのにどうしてもそうせざるを得ないのが悔しいと、すがられて本当に可哀想になった。

「おれはそんなの無いもんなあ。おまえ、先生のこともあるから大変だよな」
「お金を出せば、手土産を持たせればそれでいいと思ってるんだろうか」

ぼくも随分安く見られているものだよねと、声が自嘲気味になって来たので唇に指で触れて止めた。

「だったら断れよ」
「だからそれが出来ないんだって言ってるじゃないか!」
「それでも、こんなに消耗するほど嫌なんだったら、その場ぶっちぎって出て来いよ」

おまえ本来そーゆータマじゃんと言ったら心なし口先が尖る。

「キミじゃあるまいし、そんなこと出来ない」
「うーん、そうか…」

立場とか環境とかしがらみにグルグル巻きにされている塔矢のイメージが浮かんで苦笑した。

(まあ確かにおれとは違うもんなあ)

それだけで無く、塔矢はとても真面目だから。真面目で優しいから、どんなに不快でも親の代から付き合いのある人に失礼な態度を取るなんて出来ないんだろう。

「んー、じゃあさ」

寝そべったその頭をそっと撫でてやりながら言う。

「じゃあ、また今度そういうことがあったらすぐにおれに電話しろよ」
「キミに?」

キミに電話して何になるんだと唇が皮肉に歪むのをまた指で止める。

「うん。そうしたらどこに居てもすぐに飛んでって、おまえのことかっさらって逃げてやるから」

そうしたら自ら断らなくても嫌なことしないで済むじゃんかと、言ってやったら塔矢は黙った。

「おまえは何にもしなくていいよ。おれが無理矢理連れ出すんだから、誰もおまえを悪く言ったりしないだろう?」

塔矢先生の面子が潰れることも無いしと言ったら、塔矢はゆっくり目を開いておれを見た。

「…そんなことをしたらキミが悪く言われる」
「いいよ、別に」
「別に犯罪犯すわけじゃないし、おれ、怒られるのなんか慣れてるし」
「怒られるぐらいで済むわけ無いじゃないか――バカ」

キミは本当にバカだなあと、塔矢の声は呆れたように溜息と共に吐き出され、でも決して本気で呆れてはいなかった。

「そういう人達には碁界に援助してくれている人だってたくさんいるんだよ? もし機嫌を損ねてそれを打ち切られたら囲碁界は大きな痛手だ」
「囲碁界のプリンスが、嫌な目見て調子落とす方がよっぽど痛手だと思うけど?」

少なくともおれは嫌、おまえがこんなふうに弱ってしまうなんて絶対嫌と言ったら塔矢は笑った。皮肉では無く、素直に嬉しそうな笑みだった。

「だからってキミにそんなことさせられない」

させるくらいなら嫌なことには目を瞑ると塔矢は言った。

「そのたびにこんなに疲れちゃうのに?」
「そのたびにキミがこんなに優しくぼくを甘やかしてくれるんだって解ったからね」

ぼくにとっては関係無い、好きでも嫌いでも無い誰かに利用されることよりも、そっちの方が重要かもと言っておれに手を伸ばす。

さらりと撫でるように頬に触れて、それから首に腕を回した。

ゆっくりおれを引き寄せて、小さな声でぽつりと言った。

「…本当に攫いに来てくれる?」
「行くよ、もちろん」

即座に返した。

「速攻で行って、メーワクオヤジども蹴散らしてやる」
「…ありがとう」

たぶん絶対呼ばないと思うけれど万一の時はよろしくと言って、塔矢はおれに抱きついた。

「キミがいるから生きていける」

大袈裟なようだけれど、それはたぶん塔矢の心からの言葉なんだろう。

小さい頃から人の何倍も重たいものを背負って来た。そのくせ誰に助けてとも言えない。痩せた背中が痛々しかった。

「本当に呼べよな」
「…うん」

実際にまたそういうことに遭っても、きっとこいつはおれを呼ばない。

呼ばないで我慢してしまうんだろうなと心の中では思ったけれど、少しでも背負った重荷を軽くしてやりたくて、おれは塔矢を抱き返すと、「絶対に絶対に本当に呼べよな」と何度も繰り返し囁いたのだった。


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んー、なんつーか、利用されるのは嫌いです。
アキラにも碁だけさせてあげたいな。


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