SS‐DIARY

2011年04月13日(水) (SS)さくらさくら


「おれ、おまえに出会って良かったな」

はらはらと花びらの散る川べりを歩きながら、ヒカルは振り返ってアキラに言った。

「なんだ? 唐突に」

花見をする暇は無いし、気分でも無い。でも花を見に行くぐらいはしてもいいよなと誘われて打ち掛けの短い時間、昼もそこそこ散歩に来た。

もともとそんなに場所が無く、桜の綺麗な所は傾斜ばかりなので花見客で賑わう場所では無いけれど、それでも昼食を花の下で食べようとやって来たOL達がぱらぱらといる。

その中を歩きながら、ふいにヒカルが言ったのである。

おまえと会って良かったと。


「だっておれ、すごくいい加減でバカなガキだったから、おまえに出会わなかったらきっと、今こうしていないと思う」

何かに真剣になるということを知らず、ただ適当に日々を流して生きていただろうとヒカルは苦笑のような顔で言う。

「勉強なんか大嫌いだったし、じっとしているのも苦手だったし、何かを真面目に考えるなんてもっと嫌いだった」

少しでも楽をしてだらだらと過ごすことの方を望んでいただろうとそう思うと。

「そんなことは無いだろう」
「あるんだなあ、それが」

はらりと頭にかかった花びらを払いながら、ヒカルはまだ苦笑のような顔のままでアキラを見つめた。

「おれ、本っ当にいい加減だったからさ」
「ぼくだって別に…真面目なんかじゃ無い」
「そうか?」
「そうだよ。ただ単純に他のことに興味が無かったから真面目に見えただけで、学校の授業なんてほとんど上の空で聞いていたもの」

それで海王であの成績かよとヒカルは大袈裟にクサって見せた。

「それ、他のヤツに言ってみ? ただの嫌味に取られるから」

ただ昼の息抜きの散歩にしては、随分遠くまで歩いて来てしまった。もう暢気に桜を見ている人の姿も無い。

「そろそろ引き返すか」

ヒカルは頭上の桜を見上げ、眼下を流れる川面を見、そして最後にアキラを見た。

「すっげえ綺麗」
「そうだね、もう充分に桜は堪能したね」
「違うよバカ、おまえのことだってば」

ヒカルは言ってアキラの手を取る。

「こんな昼日中から邪なことを考えているわけじゃ無いだろうな」
「無い、無い、ただ手ぇ繋いで帰りたいだけ」
「それだって―」
「大丈夫。人が居る辺りになったらすぐ離すから」

そしてそのまま来た道をゆっくり戻り始める。

「…進藤」
「ん?」

歩きながらぽつりとアキラが言った。

「さっきの話」
「ああ、真面目がどうのってヤツ?」
「うん。ぼくは別にキミはぼくに出会わなくても真剣に生きることを知ったと思う」
「買いかぶりすぎだって」
「買いかぶってなんかいない、キミはきっとそうだよ」

誰に出会わなくても、例え囲碁に出会わなかったとしても、きっと別の何か、真面目に打ち込めることを知って、真剣に生きることをしたと思うと。

「そうかな?」
「そうだよ」

でも、だからこそキミが誰かに出会う前に出会うことが出来て良かったとアキラは言った。

「他にあったかもしれないたくさんの選択肢の中の人達には悪いけれど、その人達よりも先にぼくがキミに出会って、そしてキミが囲碁に出会ってくれていて良かった」

本当に良かったとしみじみと言う。

「やっぱおまえ、おれのこと買いかぶり過ぎだと思うけどなあ」

振り返るとアキラは笑っていた。先程のヒカルのような苦笑いのような顔で
そっと笑っていた。

「…何?」
「いや、なんでも無い」

ぱらぱらと散る桜の花びらが、アキラの黒い髪の上に落ちる。

それを払ってやりながら、ヒカルはそっと身を屈めると、掠めるようにアキラの唇にキスをした。

「怒らないじゃん」
「他に歩いている人も居ないから」

怒る理由が無いと、アキラは言って今度は苦笑では無く笑った。

「動機が不純なんだ」
「は?」
「キミと打ちたくて、キミに勝ちたくて、それでずっとここまで来てしまった」

その上今はキミ自身も欲しくてたまらない。限りなく動機が不純だと思わないかと言われてヒカルは目を丸くしてアキラを見つめた。

「そう? それが純粋って言うんじゃねーの?」

そしてイコール、クソ真面目。

にっこりと笑いながらヒカルはアキラに失礼極まりないことを言った。

「やっぱおまえって、泣けて来る程クソ真面目なのな」
「それはけなしているのか? それとも万一もしかして褒めているのか?」
「それはもちろん」

褒めているに決まっているとヒカルは笑い、しっかりとアキラの手を握り直すと歩く歩調を少し早めた。

風が吹くたび雨のように花が降る。その中を二人黙々と歩く。

例えばもしも、出会っていなかったら、今この瞬間をこうして過ごすことは無かった。

日々、体と心をすり減らすように切磋琢磨して競い合うことも無かっただろう。

「うん、やっぱつまんないな」
「え?」

いつの間にか視界の先に、見慣れた市ヶ谷の風景が迫る。

「だーかーらー、最初から言ってんじゃん。おまえと出会って良かったって、そう言ってんだよ」

ヒカルが言って手を離すと、アキラは一瞬きょとんとした顔になって、それからいきなり自分からヒカルの手を掴み直した。

「おい、もう駅前」
「いいじゃないか桜の下を歩いている間くらいは」

そして溜息のように息を吐くと、小さな声でぽつりと言った。

「ぼくだって」

ぼくの方がキミに出会えて良かったのだ――と。



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