「考えてみれば、おまえと碁抜きで会うのって初めてじゃん」
進藤に言われて、確かにそうだなと薄く笑った。
休日に用事を頼まれ街中に出たぼくは、帰り道、偶然進藤に会って呼び止められた。
「塔矢じゃん」 「進藤、キミ、こんな所で何をしているんだ」 「それはこっちのセリフだよ、おまえこそ何やってんの」 「ぼくはお父さんに頼まれたことがあって」 「おれは買い物。でもまあ、そんなに欲しいってわけじゃ無かったから別に買わなくてもいいんだ」
そして進藤は続けてぼくに言ったのである。
「おまえ暇なら茶でも飲まない?」
いいよと答えたのは実際ぼくにはその後の予定が無かったからだった。
精々帰って碁の勉強をするくらいしか予定が無いので、折角会った進藤と話をするのもいいと思った。
「あ、でも今日は打てないからな。おれ何にも持って来て無いし」 「ぼくも何も持っていない。用事が終わったらすぐに帰るつもりだったから」 「ふうん。じゃあ今日は碁抜きなんだな、珍しいよな」
そして近くにあったカフェに入った。
彼は少しお腹が空いていると言うのでパニーニのセット。ぼくはそんなに空腹では無かったのでホットのカフェラテだけを頼んだ。
日の当たる。でも、眩しくは無い窓際の席に二人で座って何ということは無いことを話す。
彼とぼくは会っているようで、会わない時は全く会わない。
棋戦の関係もあるのだが、同じ世界で生きていても結構顔を合わせる機会は少ないものだなと今更のようにぼんやりと思った。
「キミ、そういえば何を買いに来たんだ?」 「何ってそんな大したもんじゃねーよ。冬物のジャケット、もう2年も着てるしそろそろ新しいのが欲しいかなって」 「そうなのか。でも…それ似合っているのに」
捨ててしまうのは勿体無いと素直に思う。
「それでも結構傷とかついちゃってボロくなって来たからさぁ…」
言いかけてふっと思い出したように言う。
「おまえは?」 「え?」 「おまえの用事はもう済んだのかよ」 「うん。ぼくは届け物をするだけだったから」
先方も先方で午後から予定があるらしく、だから長っ尻にならないように適度な頃合いを見計らって帰って来たのだ。
「でも、少し疲れたな。キミに会えて休憩出来て良かったかも」 「おれも。腹減ってたし、いい加減一人で見て歩くのもつまんなくなって来てたし」
混んでいるとまではいかないが、そこそこに席が埋まった店内は、温かくて和やかで非道く居心地が良かった。
「パニーニって美味しい?」 「んー…ちょっとパサついたパン?」 「なんだそれは。褒めているのか? けなしているのか?」 「どっちでも無い。好きなヤツは好きで、そうじゃないヤツはあんまり好きじゃないかもってそういうこと」 「キミは?」 「おれはもう少し水分がある方がいいかも」 「じゃああまり気に入らなかったんだね」
素直にそう言えばいいのにと思わず声を出して笑ってしまった。
「おまえはラテ美味しい?」 「そうだね、本当は紅茶の方が好きなんだけど、温かいし甘いし、飲めないことは無いよ」 「って、それ全然褒めて無いし」
からからと進藤が笑い、ぼくもまた微笑み返した。
他愛無い言葉遊びのような会話の後、進藤がふと呟くように言った。
「そういえばおまえと碁抜きで会うのって初めてかも」 「そんなことは無いだろう?」 「いや、碁で無い時を探せと言われたら困るくらい、おれはおまえと打ってるよ」
でも打たなくても楽しいもんだなと言われて「そうだね」と返した。
実際彼と居るのは盤を挟まなくても楽しかった。
落ち着くというかしっくりくると言うか、とにかく向かい合っているだけでとても楽しい。
「たまにはこういうのもいいね」 「うん、まあな」
窓から差し込む日の光。ガラス一枚隔てて忙しく行き交う人々。
そんな街の景色を眺めながらぼく達は話した。
石を使った会話では無く、言葉を重ねて会話した。
「なあ」
しばらくたって、それまでの会話の流れを遮るように、唐突に進藤が言った。
「何?」 「これからもたまに、碁抜きでも会わねえ?」 「え?」 「いつも打ったり検討したりで会ってたけど、そういう理由が無くてもたまに会いたい時には会わないか」 「キミと和谷くん達みたいに?」 「んー…まあ、そうなんだけど、でもちょっと違う」
おれ、おまえに会いたくても、なんとなく理由がなければ会って貰えない気がしていたと。
「ぼくも…そう思っていた」
彼は親しい友達がたくさん居る。だから打つという理由が無ければ会ってはいけないようなそんな気がしていたのだ。
「おれ、何も無くてもおまえに会いたいな」
もちろん打ちたいし、碁の話もたくさんしたい。
「でもそれ以外の、何でも無いつまんねー話とか、んー…話さなくてもいいから会いたいかも」 「…ぼくもだ」 「じゃあ決まり」
にっこりと進藤が笑ってぼくを見た。
「これからは会いたくなったら連絡する」 「ぼくは…いや、ぼくからも連絡する」 「―うん」
そして再び飲んだり食べたりしながら、ぼくと進藤は話を続けた。
特に何ということも無い、なんでも無い話を延々と楽しく続けたのだった。
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