SS‐DIARY

2011年01月07日(金) (SS)トレイン・トレイン


夜遅い上り電車の中は閑散として人の姿がほとんど無かった。

時折すれ違う下り電車が満員のすし詰め状態なのに反してこちらは一つの車両に数人しか座っていない。

ヒカルとアキラが座っている6両目も、最初こそ座席の全てが埋まっていたが、一時間を超えた頃からどんどん人が減って行き、今や貸し切り状態に近い。

一番端、連結のすぐ近くの狭い座席に並んで座りながら、二人はぐっすりと眠っていた。

つい昨日まで命を削る対局をしていた、その反動で今日は疲れてアキラなどは座るや否や眠ってしまった。

ヒカルもしばらくは起きていたけれど途中から目を閉じて寄りかかるアキラをさり気なく抱えている。

ゆったりとした各駅停車。

急行を選ぶことも出来たけれど、わざわざ二人が時間ばかりかかるこの電車に乗り込んだのは少しでも長く共に時間を過ごしたかったからだった。

『これだと着くの夜中になるぜ?』

帰りの電車を各駅にしようとアキラが言った時、ヒカルは一応反対した。

『おまえもう体力残って無いだろ。移動にこんなにかけてたら、次の対局に疲れを引きずることになるぜ?』
『そこまでぼくは虚弱じゃ無い。大体疲れ云々を言うならキミだってそうだろう』

ほんの数時間前まで盤を挟んで打っていたのは他でも無いヒカルだったからだ。

天元戦五番勝負の第3局。

一勝一敗とお互いに勝ちを一つずつ持っていた所でアキラが先に一歩出た。

夕刻、かなり長い時間盤を睨んでいたヒカルは悔しそうに口を引き結ぶと「ありません」とひとこと言って投了した。

次の第4局でアキラが勝てばそのまま勝ち抜けで、ヒカルが勝てば第5局に持ち越しになる。

『普通、挑戦者とホルダーが一緒には移動しませんよって古瀬村さんに言われたなぁ…』

それでもその有り得ないをしてしまうのは、その時間すら惜しむくらい今の二人に時間が無かったからだ。

棋戦は他にも色々あって、ここしばらくヒカルはアキラとゆっくり時間を過ごした覚えが無い。

『急行で二時間半。キミがその方がいいって言うならそれでもいいけれど?』
『いや、いいよ。各駅で帰ろう』

おれだって少しでもおまえと一緒に居たいものとヒカルが言った瞬間アキラは笑った。

『最初から素直にそう言えばいいんだ』

そして二人して長い電車での帰路に就いたのである。



二人ばかり残っていた客が前の駅で降りて二人の乗る車両は他に誰も居なくなった。

アキラは肩掛けの鞄を膝の上に置いてその上に手を重ねている。

体は全部ヒカルに預け、顔は俯き加減に顎を胸につけて頬にはさらりと髪が被さっている。整った顔は面のように動かず、けれど規則正しい呼吸の音がすうすうと電車の走る音に混じって響いていた。

熟睡。

その隣に座るヒカルもまた眉一つ動かさない。

それほどの消耗が課せられる。それくらい過酷な一局だった。

と、唐突に連結部分のドアが開き、隣の車両から中年の男が一人移って来た。

ごく普通の会社員風のその男は端に眠る二人に目を留めると少し離れた座席に座った。

手に持った新聞を読むふりをしながらちらちらと眠る二人を見る。途中大きな音をたてて新聞を畳み、網棚の上に乗せたけれど、二人は閉じた目を開こうともしなかった。

やがて電車は次の駅に着き、男はゆっくりとした動作で立ち上がると、開いたドアに向かって行った。そしてさあ下りようかという瞬間に、アキラの膝に置かれた鞄をむんずと掴んだのだった。

置き引き完了。

けれど思いがけずくんと紐が引っ張られ、男はつんのめりそうになる。

「この…」

反射的に振り返った男は、けれど凍り付くようなヒカルの目にぶつかって罵倒する言葉を飲み込んだ。

ぐっすりと眠り込んでいるように見えたヒカルは、しっかりとアキラの鞄の肩紐を握り、男を睨みつけていた。

「―消えろ」

理解出来ない。

けれどそれに苛立ったようにヒカルが言葉を繰り返した。

「今すぐここから消え失せろ」

ひとことひとこと区切るように吐き出された言葉は命令だった。

畏れという言葉があるけれど、この瞬間はっきりと男はヒカルの迫力に気圧されていた。

「聞こえ無かったか?」

ひっと小さく悲鳴をあげると男は鞄を手から離して、そのまま走り去って行った。

鞄は際どく外では無く電車の床に落ち、ヒカルは手を伸ばしてそれを拾い上げた。

「……何?」

薄く目を開いたアキラが尋ねる。

「なんでも無い。鞄が落ちたから拾っただけ」
「済まない。ちゃんと持っていたつもりだったのだけれど」
「いいよ、おれが持っておくから。おまえ疲れてんだから寝てろよ」
「またそんな、キミだって同じくらい疲れているのに」

でもありがとう、今日は素直に甘えさせて貰うと目を閉じたまま言って、アキラは再びふうっと深い眠りに戻った。

すうすうと再び呼吸の音が規則正しく響き始める。

その寝顔を見詰めていたヒカルは頬にかかる髪をそっと指で寄せてやると、先程とは別人のような優しい顔で微笑んだ。

「…おやすみ」

そしてもたれているアキラの体を更に自分の方に引き寄せると、そこでやっと満足したような顔になって再びその目を閉じたのだった。


※※※※※

寝てません。ヒカルずっと起きてます。番犬です。


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