| 2010年11月11日(木) |
(SS)とある碁術の黙示録 |
「―で、どうする?」
命を賭けた勝負で塔矢に負けた。
負けるつもりは無かったけれど、ほんの僅か気合いの差で勝ちをもぎ取ることが出来なかった。
元々強いヤツだけど、こういう時は本当に神がかりだなと思う。
「約束したことを今更ぐたぐた言うつもりは無いぜ? 煮るなり焼くなり好きにすれば?」
十二時間ぶっ通しの休憩無しの碁。そんなばかげたものをやり通してしまったのは、やはり相手が塔矢だからで、塔矢と打つ碁はそれだけ楽しいものなのだ。
「確かに、それを持ち出したのはぼくだけれど」 「あ、後々犯罪者になって打てなくなるのは困るって言うんなら、ちゃんと自分で始末つけるけど」
最初にこの話をもちかけて来たのは塔矢だった。
『冗談や取り消しの聞くことでは無く、本当に真剣にキミと命を賭けて勝負したい』
他の誰かが言ったことなら一笑に付して相手にしない。でもこいつが言うからには、よくよく考えて心を決めて口に出したに違い無いのだ。
元より、それくらい覚悟を決めて打ってみたい。そんな気持ちはおれにもあったので迷うこと無く「いいよ」と言った。
「でも、勝負がついた後でやっぱり無しって言うのは駄目だからな」
たかが碁で命を賭けてと人は笑うかもしれないが、それくらい塔矢と打つのは覚悟が居る。
最初に会った時からいつもこいつは真正直で命がけでぶつかって来た。それを更に混ざり気無く、真に命を賭けたいと言うならば、おれもそれに心から真摯に向き合うべきなのだ。
「もちろん、覚悟の上だ」
ああこいつ、もっと昔に生まれていたなら侍なんかいいかもなと、そんな阿呆なことを考えながら向き合うおれは嬉しかった。
だってたぶん塔矢にこんなことを言わせられるのは自分だけだと解っていたから。
「お願いします」 「お願い…します」
そして比喩で無く、時間を忘れて打った結果、おれは最後の細かい寄せで半目差で塔矢に負けてしまった。
最後までほとんど結果の解らない碁だった。
塔矢が有利な時もあったし、おれが有利な時もあった。
でも地は常に半々で、だからこそ一手一手に気合いが入った。
(それでも負けたんだから仕方無い)
怖く無いと言えば嘘になるが、こんな勝負が出来たのだから悔いは無い。ましてやこいつのために死ぬなら何の躊躇いがあるだろうか?
けれどいざ結果がついて向き合ったら塔矢はいきなり考え込んでしまったのだった。
「何考えてんだよ、そんなん、勝手におれがやるから始末に困るならおまえんちの庭にでも埋めておけばいいだろう」
塔矢の両親はほとんど家に居着かない。庭はかなり広く手入れは充分にされているが植え替えなどは一度も行われたことは無いと言う。
「そんな…簡単なことじゃないよ」
塔矢は顔を上げるとおれを睨み、それから深く溜息をついてこう言った。
「命を賭けると言ったのは本当に本気で取り替えのきくことじゃない。でもだからって、キミともう打てなくなるのはぼくは嫌だ」
ましてやこんな一局を経験してしまって、どうしてキミを失えるだろうかと。
「でも…約束したじゃん」 「うん。だから困ってる」
本当にこいつ馬鹿がつくほど真面目だなあと自分の命の問題なのに、おれは思わず笑ってしまった。
「笑いごとじゃない!」
怒鳴られて肩をすくめる。
「別に軽んじてるわけじゃないよ。ただ、おれは別にどうでもいいから。おまえんちの庭に埋められて、ずっとおまえのこと見ていられるならそれでもう充分だし」 「でも、だからそれではぼくが嫌なんだ」
長考以上に考えて、やがて塔矢は決めたらしい。息を吸うとおれを見た。
「キミには一生結婚しないでもらいたい」 「はぁ?」 「命を賭けるということは、勝ったぼくにはキミの命を貰う権利があるということだよね。だからキミの一生を貰いたい」
いつでも好きな時に好きなだけ打つためにずっとぼくの側に居て、他の誰かのために一秒も時間を割かないで欲しいと言われた時には驚いた。
「そんなんでいいの?」 「そんなって、ぼくにとっては重要だ」
キミが丸ごとぼくの物になるのだとしたらそれはどんなに素晴らしいことだろうかと真顔で言われて赤くなった。
「それで…じゃあそれはいいけど、おまえは?」 「え?」 「一生側に居てもいいけどさ、おまえは結婚したりすんの?」 「するわけ無いだろう」
一瞬の間も置かず塔矢は言った。
「打つことと、キミ以外の誰かにぼくの時間を割きたくなんか無い」
ぼくの一生はキミと費やすためだけにあると言い切られて胸に喜びが溢れた。
「うん…じゃあそれでいいよ」 「随分あっさりと承諾するんだな」 「だっておれも同じこと言うと思うから」
もしもこの勝負に勝っていたならきっとおれも言っただろう。
勝ったのだからおまえの全てをおれにくれと。
(まあ…ほんの少し意味合いは違っていたかもしんないけど)
それでも結果こうやって、無事におれは塔矢の物に、塔矢は一生おれだけの物になったのだから構わない。
「シアワセだな」
思わず呟いた言葉に塔矢は呆れたようにおれを見た。
「一生をぼくに奪われたのに暢気なものだな」
やっぱりキミは解らないと。
でもそう言いながらも塔矢もとても嬉しそうだったので、おれは声をあげて笑いながら「別に解らなくていいよ」と返したのだった。
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昨日の話を書いてから、どうしても逆バージョンも書きたくなって書いてしまいました。ヒカルが負けた場合の話です。
まあ、どっちが勝っても負けても結局結果は同じなんですけどね。
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