| 2007年02月14日(水) |
15150番キリリク「ダークビター・バレンタイン」 |
「お預かりするのはいいんですが、でも返事は無いかもしれないですよ」 「いいんです、渡せるだけで私はいいから」
面倒なことをお願いしてごめんなさいと本当に申し訳なさそうな顔の彼女にまだ言い足りないような気がして「すみません」とつい謝る。
「塔矢さんが謝ることじゃないのに……」
本当にあなたって良い人ねと言われて思わず苦笑してしまった。
「それじゃ、確かにお預かりしましたから」 「はい、進藤さんに渡してください」
そう言って手渡されたのは綺麗にラッピングされたバレンタインのチョコだった。
渡したのは最近取材などでよく顔を合わせる雑誌記者で、インタビューをきっかけに進藤に好意をもったらしい。
こんなふうに数日前からぼくは彼宛のチョコレートを女性から幾つも受け取っている。
というのも彼は直接渡されるのを嫌うと「ぼくが」噂を流したからなのだった。
進藤ヒカルはチョコを面と向かって手渡されるのを嫌う。
それは非道く嫉妬深い恋人が居るせいで、それが元で何度も派手な修羅場になったことがあるからなのだと、もっともらしい嘘の出所はもちろんぼくとはわからなくしてある。
けれどさり気なく尋ねられれば肯定はしないものの決して否定はせず、やんわりと当たり障り無く事実であると匂わせるような言い方をしていた。
なので多少なりとも進藤に気があり、近づくきっかけを狙っている女性は直接渡す危険を避けて彼の「親友」であるぼくにチョコの仲介を頼んでくるのだった。
(それにしても強かだ…)
いつのまにか結構な数になってしまったチョコレートを見つめながらぼくはぼんやりと思った。
というのも、恋人の噂だけで無く、ぼくは彼の人格を貶めるような非道い噂も結構流しているからなのだった。
女性に汚い。
本気では決して付き合わない。
まともな女性ならばこんな誠意の無い男とは付き合いたくは無いと思ってしまうようなえげつない噂まで様々な手を使ってぼくは流し続けている。
なのにこうしてまだチョコを渡したいと思う女性がこんなにもいるのだから女性というものはわからないとしか言いようが無い。
「あ、なに?おまえチョコもらったん?」
待ち合わせた棋院の一階。
先に来ていたらしい進藤はぼくの下げている大きな紙袋を見て、くるりと目を回して見せた。
「相変わらずおまえ人気あるよな」 「キミだってあるだろう。キミ宛のチョコが結構届いたって事務室で聞いたよ」
見れば進藤もぼく程では無いが小さな紙袋を下げている。
「…こんなん、みんな本気じゃねーもん。チロルとか板チョコとか、そりゃ貰えるのは嬉しいけどさぁ」
一度でいいからおまえが貰ったみたいな本気チョコをもらってみたいと羨ましそうに言われてそうか、それは気の毒にと返した。
「キミは遊んで居るようなイメージをもたれてしまっているから本気と受け取って貰えないんだよ」 「って……おまえまであんな噂真に受けてんの?」
進藤の耳にも彼が女にだらしないとされている噂は当然入っている。そして顔に出すことは無いが実はそれに深く傷ついているということもぼくはよく知っていた。
「まさか。キミは全般的に女性に親切で優しいからそんなふうに誤解されてしまうんだと思うよ」
ぼくはちゃんと解っているから大丈夫と言うと進藤は強ばったような顔からゆっくりと嬉しそうな笑顔になった。
「なら…いいかな。おまえがわかってくれてんならいいや」
それは本当にぼくを信じ切った笑顔でこの笑顔を裏切っているのだと思ったら胸の奥が少しだけ切なく痛んだ。
「あー、でもチョコ。もうちょっと値の張る美味いチョコが食べたいっ」 「なんだ。女性の好意じゃなくてチョコレートの方が問題なのか」 「違うって! 別にそういうわけじゃないけど、でもやっぱ、たまにはおれも手作りチョコとか高級本命チョコとか食べてみたいんだって!」 「だったら碁会所に行けば市河さんがチョコレートケーキを作っていてくれるよ」 「マジ?」 「うん。お客さんとキミとぼくの分を焼いて待っているからって昨日メールが来たから」 「やった!嬉しいっ!市河さん最高っ」
早く行こうぜと、子どものような切り替えの早さに単純だなと思いつつ、いやそれは違うなとすぐに自分で否定した。
単純なんじゃない、進藤は強いのだ。
非道い噂を流されている、そのことに傷ついていてもだからと言ってそれで卑屈になったりしない。
ごく普通に恋をしたいと願いつつも、そういう流れにならないことを何かのせいには決してしない。
いつかきっと流れが変ると良いことにだけ目を向けて生きる。ポジティブなそれはむしろ大人な思考だとぼくは思った。
(…子どもなのはぼくだ)
進藤をどうしても誰にも渡せず、そのために好きな相手を醜い方法で貶めている。
「…なんだったらぼくからもあげてもいいよ?」 「人のチョコを恵んでもらうほど落ちぶれてねーよ」 「そうじゃなくて、ぼくからキミにあげてもいいって言っているんだ」
この間指導碁をした人から聞いたけれど最近は友人同士で送り会う「友チョコ」というものがあるらしいじゃないかと、言ったら進藤は「そりゃ女だけだって」と苦笑のように笑った。
「そうなのか? なんだ…そう聞いたから実は用意してしまったんだけど」 「え? そうなん?」 「うん。キミは結構甘いものが好きみたいだしね、せっかくだから割と良いものを用意したんだけど」
いらないなら碁会所のお客さんにあげることにするよとわざと萎れたように言ってみたら進藤はさっとぼくに手を出して来た。
「貰う。そんなイイチョコ、オッサン達には勿体無いって」 「そう? じゃあやっぱりあげようかな」
買って用意したものは進藤の好みを考えて吟味に吟味を重ねて決めたものだった。
「あー、いつかおれも誰かに本命チョコ貰いてぇ」 「貰えるよ、きっと」
心にも無い笑みで優しく返す。
「いつかきっと本当にキミを好きで、キミにチョコを送りたいって思う人が現われるよ」
今だって本当は山のように届いている。
キミに憧れ、キミを好きで、少しばかりの悪い噂にもびくともしない。強かな女性が本当はたくさん彼の周りにはいるのだ。
ただそれをぼくがせき止めて、彼に届かなくしているだけで望めば本当は彼は幾らでもチョコも女性の好意も受け取ることが出来るのだった。
(でも絶対にそうしてなんかやらないけれど)
決して知らせる事無く、預かったチョコレートも想いも全てゴミとして捨ててしまう。
もしいつか知られたら軽蔑されるだろうけれど、でも、それでもその日までは――。
彼にも彼以外の人間にも精々良い親友を演じ続けてやるのだと思いながら、ぼくは心から優しく微笑んで、自分の想いのこもった「本命チョコ」を彼に手渡したのだった。
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15150番を踏んでくださったまろんさんからのリクエスト、「毒針仕込みのアキラさんの陰謀めいたエピソード」でした。(バレンタイン仕様にしたのでタイトルはこちらでつけさせていただきました)
百題の「ねがい」のアキラが好きとのことで、そのようなテイストで書いてみました。でもあまり毒針仕込みにならなかったですね(汗)すみません。
私はヒカルにだけ寛容で他は全く目に入らない、そしてヒカルを得るためには手段を選ばない真っ黒いアキラもとても好きです。なので楽しく書かせていただきました。まろんさん素敵なリクをありがとうございました。
そしてちょっとアキラ語り。
原作を読むたび思うのですが、元々の原作のアキラも「ヒカル以外どうでもいい」みたいな所がありますよね。それでもって目的のためには手段を選ばないような所も(−−;
でもそれ以前のヒカルに出会う前のアキラは、更に偏って欠けている人だなと思います。自分より弱い相手の名前は覚えない。人に対してまるっきり関心が無いですよね。本当に碁が一番でそれ以外はどうでもいいような感じじゃないのかな。
だからこそ本当に腐った意味じゃなく、アキラはヒカルに出会って良かったなあと思ってしまうわけです。
ヒカルに出会って初めて感情的になったり、何かに執着したりという人間的な感情を得たのじゃないかな。もしあのままヒカルに出会わないで育ったアキラを想像すると私はすごく胸が痛みます。
孤独だと言うことすら気が付かないで生きて行く。それでもって、「そういうものだ」と思っているから適当な年齢の時にお見合いでもして結婚するんじゃないかな。相手を愛するとかそういうことも知らずに。
そうならないで良かった。ちゃんと人に対して感情を動かせる人間になって良かったと。アキラはヒカルに出会って初めて欠けた部分が埋まったのだとそう思います。
だからちょっとくらい奇行が目立っても(爆)、黒くてもいいと思うんですよ。アキラが生き生きと楽しそうならそれでいいです(笑)
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