SS‐DIARY

2006年10月11日(水) (SS)アキレスの踵(和谷視点)

おれは塔矢が嫌いだった。

昔からいけ好かないやつだと思っていたし、それは進藤とこいつが親しくなってからも変らなかった。

何しろ人を人とも思っていない態度だし、何があっても沈着冷静で、取り乱したり慌てた所など一度も見たことが無かったからだ。

表情もほとんど変らないし、喜怒哀楽というものが著しく欠けている。

(きっとこいつ、大災害とか来ても顔色一つ変えないんだろうなあ)

映画でもよく居る、冷静なリーダー役になって、逃げまどう人々を導くんだろうなあと、それもまたムカつくと、そうおれは思っていた。


そう、――その日までは。


その日、おれと進藤と塔矢は仕事を終えて帰る所だった。

「あーっ、疲れたなあ」

手合いではなく、アマチュアイベントでの指導碁の仕事で、終わった後の打ち上げにも混ざっていたので結構時間が遅くなってしまった。


「まったく、いつになったらこういう仕事やんないでも食っていけるようになるのかなあ」

腐るおれに進藤が苦笑したように言った。

「しょーがないじゃん、まだおれたち下っ端だし、でもおれ結構こういうの好き」
「色々な人と打てるからだろう?」

言葉を引き取るように塔矢が言う。

「キミは結構こういうイベントが好きだよね」
「うん、ガキと打つのも好き。あいつらムキになって打ってくるからさ、もーすげーかわいくて」

塔矢は進藤のぴったり横について楽しそうに話している。

もしこれが、おれと二人きりだったらもっと硬い感じになっていたのだろうが、進藤と一緒なので寛いだ表情になっている。


(こいつ、本当に進藤のこと好きなんだなあ)

友人というものを全く持たない、他の若手ともほとんど交流を持たない塔矢アキラが唯一、進藤ヒカルにだけうち解けているということは、囲碁界の誰もが知っていることだった。

(とても気が合うとは思えないのになぁ)

実際、進藤と塔矢は会えば喧嘩ばかりしているらしい。けれどそれでもやはり結局の所は仲が良いのだ。

今更だけど、不思議な取り合わせだぜと思いながら、角を曲がった時だった。

ふいに目の前が眩しい光で覆われ、同時に激しいブレーキ音が響いた。

「危ないっ」

叫んだのは進藤の声で、でもどこに居るのかはわからなかった。

キーーーッ、そしてどすんと重い音がして、気がついたら足元に進藤が横たわっていた。

「わっ、わっ、なんだ!」

少し離れた所には塔矢が真っ青な顔をして尻餅をついたような格好で座り込んでいる。

「なんだ、何が起こったんだよっ」
「進藤が…進藤がぼくを庇って……」

塔矢の声に改めて周りを見る。ようやく元にもどった目は、遠く走り去って行く車のテールランプをかろうじて見つけた。

「って! ひき逃げかよ!」

やっと事態が飲み込めた。

細い一方通行の道を逆走して走って来た車がおれたちに突っ込んで来たとそういうことらしい。

「進藤! 進藤っ!」

塔矢が這うようにして近づき揺さぶると、ほっとしたことに進藤はすぐに目を開けた。

「あ………………っ、塔……痛っ」

言いかけて途端に顔を顰める。

「大丈夫? 進藤」
「よかった……。おまえ無事で」
「ぼくは無事だけどキミが…」

よく見ると進藤の左足が変な方向に曲がっている。

「おまえ突き飛ばして……自分も避けたつもりだったんだけど、やっぱ……ぶつかったみたい」

折れたかもしんないと、言いながら痛むのだろうその顔が歪んでいる。

「電話! 救急車呼ばないと」

おれは慌ててスーツのポケットから携帯を取り出してかけようとした。
ところが運の悪いことに電池切れで、うんともすんとも言わない。

「塔矢、おまえの携帯でかけろ!」
「あ……うん、わかった」

真っ青な顔で携帯を取り出すと塔矢は電話をかけようとした。所が何故かいつまでたっても番号を押さない。

「早くしろよ、塔矢、進藤痛がってるじゃんか」
「きゅ……救急車の番号が思い出せない」
「はあ?」
「救急車を呼ぶのが何番なのか、どうしても思い出せない」

どうしようとおろおろと振り返っておれを見るので、おれは呆気にとられながら「119番だよっ!」と叫んだ。

「早く呼んでやれよ、その後で警察にもかけなくちゃだし」
「あ……う、うん。わかった。ごめん」

そして指を三回動かして119番をかけたはずだった。それが……。

「出た? すぐ来てくれるって?」

塔矢は携帯を耳に当てたまま、奇妙な表情をしている。

「それが……明日は晴れだって……」
「はぁぁぁ?」
「何故だろう? 天気予報をやってる…」

泣きそうな塔矢の顔におれは思わず怒鳴ってしまった。

「バカ野郎っ、それは177だろう?  おれは119にかけろって言ったんだよ、119に!」
「ごめんっ、すぐにかけ直すから」

狼狽えたような声で塔矢は言うとすぐにかけ直した。所がまた携帯を耳に当てたまま塔矢は奇妙な顔をしているのだ。

「今度こそ、119にかけたんだろうな?」
「………今、23時53分29秒だって…」
「こっ、この」

「大馬鹿野郎っ!」

おれは思い切り怒鳴りつけると塔矢の手から携帯をもぎとった。

「おまえ一体何アホやってんだよ。もう信じられねー」

そして119にかけて救急車を呼ぶと、次に110にかけて警察も呼んだのだった。

「ごめん……ちゃんとかけたつもりだったのに」

頭の中が真っ白になってしまってと、塔矢は半泣きになりながらおれと進藤に謝った。

「ん…大丈夫だから、いいよ泣かなくて」
「あーっ、もう進藤は塔矢を甘やかすなっ!こんな緊急時に使えなくちゃ困るだろーがっ!」


大体普段の冷静さはどこにやったんだおまえはっ!!!!!どこに落として来やがったとその後おれは救急車が来るまでの間、ずっと塔矢に説教をしてしまった。


まったく、ちょっとくらい顔が良くて、碁が強くてもこんなにパニックに弱くてはダメじゃんかと、よくよく考えてみればおれの人生で塔矢アキラにこれだけぼろくそ好き放題言ったのは初めてだったような気がする。

「これからはもうちょっと冷静になれよな!」

かなり偉そうに言ったおれに、後で進藤が苦笑しながら「あんまいじめないでやって」と言っていたけれど、人としてどーよと言わずにはいられなかったのだ。


それが実は進藤限定で、他の人間が同じような状況になっても塔矢は全く動揺せず、冷静に対処出来てしまうのだと知ったのはまたずっと後のことになるのだが……。


ともあれこの日の使え無さっぷりとみっともないくらいの取り乱しぶりを見て以来、おれは大嫌いだった塔矢が少し、本当に少しだけ好きになったのだった。





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