| 2004年10月13日(水) |
(SS)パパがライバル7(番外・明子ママ編) |
行洋さんとの結婚を決めた時、親兄弟はもとより、普段付き合いの無い親戚や近所の人までが「おやめなさい」と言った。
そんな碁打ちなんか、まっとうな仕事じゃない、きちんとお勤めをして、毎月毎月お給料をもらってくる人と結婚するのが一番だと、苦労はもう決まりきったもののように言われたものだった。
「でも、私、あの方が好きなんです」
行洋さんとは、父の知り合いの社長さんが指導碁を受けているという縁で顔を合わせる機会があり、その時に二言、三言、話をしたのがきっかけだった。
無口で年は私よりも10以上上で、最初は叔父や兄と話していると言った気持ちだったのだけれど、ふとした折りに笑った顔が意外にも可愛くて、可愛いと思ったその瞬間に好きになっていたのだった。
人が人を好きになるのにどういう理屈があるのかはわからないけれど、なんというか落ち着いているくせにあどけない部分もある、少年のような人だなとそう思ったのだ。
また会いたい、できればその後もずっと会いたい。
思ったので翌日、早速社長さんにお願いして、自分も指導碁を受けられるよう手配したのだけれど、忙しい方だったらしく実際に指導碁を受けることが出来たのは一ヶ月ばかりたった頃のことだった。
あの日は確か雨の日で、傘をさしてきたにも関わらず、前髪が滴で濡れていた行洋さんは、私と会うなり頭を下げた。
「もっと早く、予定を入れたかったのですが、すみません」
最初なんのことかわからなくて、すぐにそれが一ヶ月かかったことへの謝りの言葉だと気がつく。
「いえ、私の方が無理を言ったんですから」 「でもこんなにお待たせしてしまって」
私のような小娘の気まぐれな頼みに、噂に聞けばもう九段とかいうかなり偉い方が無理矢理時間を作ってくれたのだと、それだけでもう嬉しかったのに、少しでも長く時間をとれるように小走りに来て、それで濡れてしまったのだとわかった時に心は決まった。
「あの―」 「いや、本当に申し訳ありません。早速始めましょうか」
碁盤を前にきちんと正座し直す行洋さんに、そんなに焦らなくてもいいですよとタオルを渡しながら、私は「よろしければ私と結婚してくださいませんか」とお願いをしたのだった。
以来、親兄弟に親戚近所、実を言えば行洋さん本人にも考え直すように諭され続けたこの成り行きの結果は、二年かけて、押しの一手で私の勝ちとなった。
大人しそうな顔をしていて情が強い。
未だ語りぐさになっている結婚の際の私の我の強さ。褒められたものではないのかもしれないが、それはどうやら困ったことに我が子にもしっかり伝わってしまったようなのだった―。
「ぼくは進藤と戦いたいんです」
大人しく、年の割には大人びた物わかりのいい子ども。
顔は私に似たけれど、あの落ち着きは行洋さんね♪と思っていたアキラさんが、ある時を境に激しく自己主張をするようになってから初めて自分に似ていることに気がついた。
「お父さんは進藤の実力を疑うんですか?」 「いや、そういうわけでは…」 「彼は荒削りですが、しっかりとした自分の碁を持っています。その上での挑戦はぼくは無謀だとは思わないのですが」 「いや、だからアキラ…私はそういうことを言っているわけでは」
父親に刃向かったことも無かった子が、殊、進藤さんの話題になると冷静さを失いくってかかる。かと思えば褒める言葉に我がことのように喜んだり。
険しくなったり緩んだり、見ていておかしくなるくらい、この頃のアキラさんは喜怒哀楽が激しい。
行洋さんはまだそれがどうしてそうなるのかよくわからないらしくて、アキラさんの反応にとまどっているようだけれど、自分に似ているだけに私の方にはすごくよくわかる。
何も持たなかった子が。 自分以外を必要としなかったあの子が、初めて心から必要とした方だから、だからあんなふうに情緒不安定になってしまうのだと。
好きで、好きで、好きで、好きで、自分で押さえられないくらい、相手を好きになってしまったから、あんなふうにわけがわからない反応になってしまうのだと。 見ているこちらは微笑ましいと思うけれど、きっとあれでは本人もかなり辛いに違いない。
「確かに、この所の進藤くんの活躍にはめざましいものがあるがね」
取りあえず、けなしてはいけないというのがわかったらしく、ぎこちなく行洋さんが褒めると、アキラさんは今度は微妙な顔になり、それから「でも、ぼくはあんなものだとは思っていませんよ」と言った。
「この間の王座戦の予選では、十分に勝てる流れだったのに、後半で痛い読み間違えをしていますし」 「そうだな、あれは相手の手拍子に乗ってしまったというか、後の読みが甘かったというか」 「読みは別に甘くは無かったと思います。ぼくでもあそこは迷ったと思いますよ」
褒めるかと思えばけなし、けなすかと思えば褒める。 じゃあ一体どうしたらいいのだと、困惑がはっきり行洋さんの顔に出ているのを見て、なんとなくおかしくなってしまった。
『碁打ちなんてまともな収入も無いくせに』 「行洋さんは九段と言って、囲碁をゃってらっしゃる方の中でも上の方にいらっしゃって、収入はそこいらのお勤めの方よりあるんですよ」
『だめだ、だめだ、そんなに金があるようじゃ女遊びをするに決まっている。そもそも碁打ちなんて博徒と同じだろう?家庭を大事にするとは思えない』 「あら、行洋さんはあのお年まで囲碁一筋で、そりゃあお付き合いなさった方もいらゃっしゃるみたいですけど、どなたも良い家のお嬢さんだったみたいですよ」
『だったら尚更だめだ、収入もあって、良縁に恵まれながらあの年まで結婚しなかったなんてどこかおかしな所があるに違いない』 「あの方は、碁に集中したかっただけなんです。根も葉もない中傷をされるようなら怒りますよ」
結婚が決まるまでの間に幾度となく親との間に繰り返された会話。 行洋さんを悪く言われるのがどうしても許せなくて、それまで逆らったことも無かった父にくってかかったものだけれど、逆に褒められても腹が立ったりもしたのだった。
『あの男、話せばなかなかいいヤツじゃないか。人に聞いてみたらなかなかの人格者らしいし、これは思わぬ良縁かもしれないな』 「そんな、お父様。今までさんざん行洋さんのことをけなしておいて!」
お着物の柄のことまで文句をつけていたくせにと、その頃にはもう自分でもわけがわからなくなってしまっていたような気がする。
とにかく大好きなあの人をわかって欲しいと、けれどそれを他人と分かち合うのも嫌だと、そんな複雑な気持ちでいたから。
「アキラさんは進藤さんのことがお好きなのよね?」
ひとしきり言い争った後、気まずい顔で黙り込む二人に茶を出してやりながら言うと、アキラさんは途端に真っ赤になった。
「そっ、そんなことは…」 「あら、じゃあお嫌いなの?」 「そ、そんなことも…ないですが」
しどろもどろになる姿に我が子ながら不器用で可愛いとそう思う。
「よろしいじゃないですか。好きな方がいらっしゃるということは人生が豊かになるということなんですから」
益々と赤くなるアキラさんに、行洋さんはやはりわからないらしく、きょとんとした顔をしている。
「ねぇあなた、そうですわよね」
私はあなたという方に出逢ったので、毎日張りのある幸せな日を過ごさせていただいていますものと、言うと行洋さんの頬が微かに赤味を帯びた。
「ま、まあそういうこともあるかもしれないな」 「だからアキラさんも進藤さんを大切になさったらいいわ」
出逢うべくして出逢った方なのでしょうからと、言ったらアキラさんは真っ赤な顔のまま、満面の笑みを浮かべた。
「―はい」
それは子どもの頃から変わらない、素直な笑みだった。
アキラさんが進藤さんのことをどんなふうに好きなのかはわからない。 もしかしたら、それで傷つくこともあるのかもしれない。
私よりも更に、アキラさんは気持ちが一途だとそう思うから。
(でも―)
それでも好きにならないよりは、絶対に好きになった方がいい。 何も夢中になるものを見つけられないよりは、気持ちを乱されるほどに誰かを好きになった方がいい。
「…本当に、あなたは私に似ているから」
苦労するわねと、つぶやくと、アキラさんの笑みは困ったような苦笑に変わっていった。
追って。
追って。
追って。
捕まえるまで追って、手に入れようとする。 私が昔、行洋さんを求めたように―。
こんな性質はもらわない方が良かったのにねと、でもそれはもうどうしようもないから。
(どうかアキラさんが幸せになりますように)
好きだという気持ちで身を滅ぼさないようにと、それだけを心から祈ったのだった。
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ギャグにしようと思ったのですが、なぜか思いの外真面目っぽい話になりました。 アキラはパパ似だけど情熱的な所はママ似だったんだよと。 ただそれだけの話でしたー。で、これも番外編です。
なんか母編は両方ともちょっと真面目っぽいですね(^^;なぜだ?
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