SS‐DIARY

2004年10月11日(月) (SS)パパがライバル5

一言で言ってしまえば、手のかからない子どもだった。

年を取ってから授かったので、天が情けでそうしてくれたのかはわからないが、夜泣きもせず、ぐずることも無い、ただひたすらによく眠る赤ん坊だった。

物心ついてからも、こう書くと親ばかと怒られてしまいそうではあるが、素直で利発で親を敬い慕ってくれる子で、同じ囲碁の道に進んでくれたことも嬉しく、なんていい息子だろうかと思った。


誰に見せても恥ずかしく無い、まさに親として思う、理想的な子ども。


ただ欲を言えば、普通の家庭の子どもがするように、親に対する反抗というものをほとんどせずに一足飛びで大人になってしまったような所があるので、それが少し物足りなかった。


慕ってくれるのは嬉しい。

でも、時には理不尽なことで突っかかってきたり、反抗してきて欲しかったと、同じ年頃の子を持つ棋士に言ったら「それは塔矢さん、バチが当りますよ」と窘めるように言われてしまった―。









「この佃煮は…進藤くんかね?」

夕餉の席、いつもの食事より小鉢が多いのに気がついて尋ねると、目の前でみそ汁を飲んでいたアキラがぴくりと眉を持ち上げた。

「そうです。進藤がお父さんにって」

よくわかりますねと、静かではあるものの、どことなくよそよそしさのある口調で言われ、何かいけないことを言ってしまったかと思う。

「いや、前にそういう話をしたことがあるのでね」
「ええ、進藤もそう言ってました」

だからわざわざ頼んで取り寄せたみたいですよと、抑揚の無い声で言うものだから、話題を変えることにした。

「彼は…ここの所、好調みたいだね」
「ええ、先日の予選でも九段を相手によく戦っていましたし」

その対局時は私はまだ中国にいたけれど、棋譜は送ってもらって見せてもらっていた。
少し荒っぽい所はあるものの、相変わらず力を感じさせるいい碁だと思った。


「しかし、あれでもう少し冷静さがあるといいんだがね」

おまえのようにと言ったつもりだったのだが、途端に目の前の息子の周りの温度が僅かばかり下がったような気がした。


「そうでしょうか? おとなしい打ち方をすれば、彼らしさが失われてつまらない碁になると思いますが」

押さえてはありながら、挑むような口調に少なからず驚く。

「飼い慣らされた虎になってしまっては彼の持ち味は失われてしまいますが、お父さんはその方がいいと思うんですか?」

「私は別に、型にはまった大人しい打ち方をした方がいいと言ったわけでは無い。ただ、彼は感情に左右される所が大きいようだから」

それが良い方に出ることもあれば悪い方に出ることもある。あれをもう少しコントロール出来るようになればいいのにと、そういうつもりで言ったのだとそう言ったら、アキラは目を見開いて、それから恥じたように俯いた。

「…すみません。生意気をいいました」

非を認めれば素直に謝りの言葉を口にする。こういう所は子どもの頃から変わっていないなと思う。

「まあいい…。友人のことを悪く言われたと思えば誰だって腹が立つだろう。ところでおまえもがんばっているようじゃないか」

息子の棋譜もまた、本人が送ってくるものの他に棋院からも送られて来ていたので全て目を通している。こちらもまた快調で、このまま行けば本因坊戦リーグ入りは確実だった。

口には出して言わないが親としての喜びが棋譜を見るたび沸き上がる。

快進撃を続ける進藤くんが若虎ならば、その先を行くアキラは天に昇る龍だなと思った。


「ただ…なんだ。最近おまえは少し大胆な打ち方をするようになったな」

素直に褒めるのもためらわれるので、思っていたことから先に口にする。

「荒っぽいというか、思い切ったというか、ここぞという時に賭のような打ち方をすることが増えてきているような気がする」

あれは私が教えた碁では無い。

「進藤くんの影響かな」と言ったら、またアキラのまわりの温度が目に見えて下がった。


「それは…ぼくに進藤が悪く影響しているということですか?」

ぼく本来の打ち方を損なっているということでしょうかとキツイ口調で尋ねられて「いや、そんなつもりではない」と慌てて打ち消す。


「良くなったと言ったんだ。おまえはどちらかと言えば計算しつくした冷静な碁を打つ。でももう少しそういうことを忘れてもいいんじゃないかと思っていたから」

良くなったと言ったのだと言ったら、冷え冷えとしていたまわりの空気が少し緩んだ。


「おまえたちは互いに良い影響を与え合っていると思うよ」と、そう言ったら照れくさそうににっこりと笑ったので、ほっとした気持ちになった。



まったくなんだと言うのだろうか?ここの所、アキラといるとこんな変な緊張が生じることがある。

今までずっと穏やかで親に逆らうということも無かったのに、この頃ははっきりと不機嫌を顔に出すようになったし、口答えもするようになった。

それは遅く来た成長の段階で、親としては喜ぶべきなのだろうけれど、どうにも、それがどういう時に発するのかわからなくて困ってしまう。


これは本当に世間一般で言う、反抗期というやつなのだろうか?
どこの子どももこんなふうに、予想もつかないことで突っかかってくるものなのだろうか?





「あらぁ。この佃煮、おいしいわねぇ」

気まずい沈黙を破るようにのんびりとした口調で明子が言った。

「これ、神楽坂のお店のかしら。あそこのは少しお高いけど、食べるとはっきり味が違うのよねぇ」

どうにも不思議なことなのだが、妻は私たちの間に生じる緊張にはいつも全く気がつかないらしいのだ。

おっとりしているというかなんというか、けれどそれで空気が和んだのは確かだった。

「…進藤がわざわざ手配して手に入れてくれたんです」
「あらぁ、本当に進藤さんは気のつく人ね」


途端に目の前でぱっとアキラの表情が明るくなった。

「そうなんです。よく礼儀知らずとか言われてしまうんですが、進藤はあれでちゃんと人の話を聞いているし、気を配るタイプなんです。この前も―」

さっきまでの仏頂面はどこへやら、にこにこと嬉しそうに進藤くんのエピソードを話し始めた。



なるほど。


ここに来てようやく安定しないアキラの機嫌の原因がわかったような気がした。

たぶん、おそらく進藤くんなのだ。

利発で大人しいのはいいものの、小、中と友人の類を全く持たずに来たアキラに生まれて初めて出来た友人。

だから彼に関することに激しく反応してしまうんだろう。


そういえば囲碁以外、何にも執着しなかったアキラが初めて執着したのが進藤くんだった。

反発する部分も多いようだが、頻繁に会っているようだし、最近ではこの家に泊って行くことも多いという。

生まれて初めて友人を持って、しかもかなり身近な部分にまで立ち入らせている。

一生のライバルと思っているようだし、なるほどそんな相手のことを少しでもけなされたら腹が立つし、逆に褒められれば嬉しくもなるだろう。

(なるほど、なるほど)

アキラも人間として成長して、深みを増したのだと、そう思ったらこの不安定さもやっと喜ばしく思えてきた。


「確かに彼は意外に細やかで、思いやりがあるな」

ここは一つ進藤くんを褒めて、アキラを喜ばせてやろう。

「年長者を立てることもするし、かと言って堅苦しいわけでも無い」

最近には珍しく、気持ちのいい若者だと思うよと、言ってアキラの顔を見た。


「…お父さんは随分、進藤を買っているんですね」








…あれ?




「進藤もお父さんのことを尊敬してるって言ってましたよ」


なぜだろう、アキラの機嫌が急転直下で悪くなっている。


「アキ―」
「お父さんと進藤が親子だった方が良かったかもしれないですね」


ひんやりとした表情でにっこりと笑い、その後はむっつりと食事が終わるまで黙り込んでしまった。


なぜだ?何がいけなかったんだろう?



もそもそと飯を口に運びながら思う。


ちゃんと進藤くんを褒めたのに、どうしてアキラは怒ったのだろうか?


(…まったくもって子どもの心はわからない)


気まずい空気の中、反抗期を体験したいなどと思ったことを後悔しながら、子どもの頃のアキラは素直でかわいかったなあと心の底から思ったのだった。


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ということで、まだまだ続くよどこまでも。佃煮を持って帰った後のパパとアキラのやり取りです。
パパもヒカルと同じで明後日の方向のことを考えているのでアキラの反応が理解できません。

きっとこの後、部屋に帰って小さい頃のアキラの写真なんか見てしまったりするんでしょう。哀愁のパパです。


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