SS‐DIARY

2004年10月05日(火) (SS)部屋番号は707

電話口で教えられた通りに郵便受けの中にある鍵を取り出し、指定された部屋にエレベーターで上がった。

EDロックの蓋を持ち上げ、メモしてあった暗証番号を打ち込むと、かちりと音がしてロックが解除される。


「どれ、どんなん?見せて?」

別について来なくていいと行ったのに無理やりついてきた進藤は、ぼくの肩越しに暗い室内をのぞくと、押しのけるように中に入って行った。


「へー、なかなかいい部屋じゃん」


連続で来た台風の後、傷んだ軒から雨が漏るようになったぼくの部屋は改築を余技なくされて、仕方なく一ヶ月あまり家を出ることになったのだ。

最初はホテルでもと思ったけれど、それも贅沢に思え、期間も長いのだからと初めてマンスリーマンションというものを借りてみた。

せっかくの機会なんだから、そのまま家を出ちまえばいいのにと、自分はもうとっくにJRの沿線に部屋を借りて一人暮らしをしている進藤は、ここぞとばかりに自分と住もうと主張したのだった。

「でも、結局、お父さんたちは海外と行ったり来たりだし、誰かが留守番をしないとね」

出てしまっても別に良かったのだけれど、進藤と暮らすのにぼくにはまだ、ためらいがある。

例え入り浸りになろうとも、それぞれに家があればまだ逃げる場所が出来る。

けれどもし共に暮らすようになってしまったら、今目をつぶり、考えないようにしていることも真剣に考えなければいけなくなってくる。

自分のこと。

彼のこと。

家族や、将来のことも。


もしも一緒に暮らしてしまったら、もう後戻りは出来ず、それが怖くてぼくはまだ彼と暮らすことが出来ずにいるのだった。


「まあ、しゃーないけどさ、先生たちが落ち着いたら、そしたらおれんこともちょっと考えてくれよな」

ぼくにためらいがあることを進藤はちゃんとわかっているので、敢えてそれ以上の追求は無い。


「狭いけど、全部揃ってんじゃん。冷蔵庫にー、電子レンジにー、炊飯ジャーにポットに、食器に…」
「それは…ホテルじゃないんだから」

八畳一間のワンルームには、生活のあらゆるものがぎゅっと凝縮されて詰めこまれているようだった。


「うん、駅から近いわりに静かだし、いーんじゃねーの?ここ」


工事が始まる直前まで、ホテルとどっちにするか迷って決めた物件。
進藤の住んでいる町とは棋院を挟んで逆の方向だったけれど、同じ沿線沿いということで、なんとなく安心感がある。


「風呂は…っと、ユニットバスか。まあ、ベッドもふかふかだし、結構快適だよな」
「キミが住むわけじゃないんだから」

部屋の中のドアというドアを開けて中を確かめていた進藤は、全部チェックし終わると、やっと落ち着いたのか、ベッドの上に腰掛けた。


「まあ、OK。合格デス」
「なにが?」
「何がって、大事な恋人が一ヶ月暮らすのに、安全か危険かチェック入れてたんじゃないか」

拗ねたように口をとがらせると、進藤は気分を変えるように、メシでも食いに行こうかとぼくに言った。

「さっき駅前に色々店、あったじゃん」
「あったけど、もう時間が。…キミ、まさか泊って行くつもりじゃないだろうな」

もう時間は夜の12時を過ぎていて、なのにこれから食事をしたら、帰るのは終電ぎりぎりになってしまうではないか。

「なんで?だめ?」
「見てわかってると思うけど、ベッドはシングルだし、キミは明日は手合いがあるし」
「そんなんわかってるよう」

床に寝るからそんでも泊めてくんないのと言うのに、「明日でも明後日でもまた改めて泊りに来ればいい」と言う。

「対局にはベストな体調で望んで欲しいんだよ。こんな固い床で寝たら体が軋む。集中力をそがれることになるよ」
「おれ、別にそんなんへーきだけど」
「進藤っ!」

そういうわからないことを言うと、永久に出入り禁止にするぞと脅したら、渋々進藤は「帰るよ」と言った。

「でも、その代わり、明日来るかんな。その時は追い出すなよ」
「追い出さないよ、あんまり邪険にして、下に座り込まれでもしたらそっちの方が困る」

キミならそのくらいしそうだからと言ったら進藤は「そんなことしねぇって」と益々拗ねたような顔になって言った。


「じゃあ、今日は素直に帰れ」
「メシ無し?」
「食べて行ったら時間が無くなるだろう?」


仕方ないとため息をつきながら、でもさすがに子どもでは無いので進藤はそれ以上の駄々はこねなかった。


「駅まで送るから」

財布と鍵だけを持って部屋を出る。出る間際、電気を消そうとしたぼくの手を進藤が軽く押さえた。

「初めての場所で真っ暗なとこに帰るのって、なんだかすげえ寂しくなるからさ…つけておけよ」

妙に実感がこもっているのは、自分の体験に基づいたものなのかもしれなかった。

「わかった」



生憎の小雨が降る町の中、ほとんど人通りが無い道をなんとなく無口で二人、歩く。

駅まではすぐに着いてしまい、そこでぼくは進藤と別れた。

ごねるかなと思ったのに、進藤はあっさりと改札をくぐりいなくなってしまい、矛盾していると思いつつ、ぼくはそれに少しばかり寂しさを覚えた。


(あんなに泊りたいって言っていたくせに)

もう少し名残惜しそうにしろと、つぶやいている自分に気がつき苦笑する。



ゆっくりと歩いて来た道を戻り、さっきと同じ手順でロックを解除して部屋に入る。


へー、結構いいじゃんかと、がらんとした部屋の中に彼の声が残っているようで、途端に非道く寂しくなった。


「これで暗かったら…きっともっと…」

実家でも一人暮らしで、だから寂しく感じるということは無いと思っていた。
でもあそこは生まれてからずっと住んだ自分の家で、そこを離れて暮らすということは全く別のことなのだということをぼくは今初めて知ったのだった。


「だから明かりをつけておけって言ったのか」


進藤のくせにと、それが少し悔しくもある。


「まったく…こんな年で一人が寂しいだなんて」

防音がいいらしく、周囲の音が何も聞こえないのも余計になんとなくわびしさを感じさせる。
テレビでもつけようかとリモコンに手を伸ばした時、ふいにインターホンが鳴った。


ピンポンと、鳴るはずなんか無いインターホンが鳴ったことに、一瞬オカルトめいたものを想像し、それから何度目かではじかれたように立ち上がった。


「…はい」

誰だろうと思った耳に、馴染んだ声が響いた。

『おれ』

玄関だった。
入り口のオートロックの所に何故か進藤がいるらしいのだ。

「進藤?なんで?」

キミは電車に乗ったはずではと言うのに、インター越しの彼は忘れものをしたんだと言った。

『だから開けて』

慌ててロックを解除して、待つことしばし、入り口のドアが軽くノックされる。

「進藤?」

急いで開けたドアの向こうには、さっき別れたばかりの進藤が立っていて、ばつの悪そうな、まだ拗ねているようなそんな顔をしていた。


「なにを一体忘れたんだ?」

もう一度顔を見れたことに喜びを感じながらも、口調はつっけんどんに聞くと、進藤はいきなりぼくを抱きしめた。

「―おまえ」
「え?」
「おまえを忘れた」

ぎゅうっと、抱きしめられてわけがわからずにもがくと、進藤は益々ぼくを強く抱きしめて言った。


「進藤―何を…」
「だっておれまだおまえにまともにキスもしてない。泊る気満々で来たのにさ、おまえ帰れって言うんだもん」

我慢して帰ろうと思ったけど、やっぱり我慢できなくなったんだと。
だから今夜はやっぱり泊めてと進藤は言うのだった。


「こんなとこで、おまえが初めての夜に一人で寝るんだって考えたら、すげえヤだったんだ」

だって絶対寂しいのにと、寂しかっただろ?と、見透かされていたことに顔が赤く染まる。

「寂しくなんか…」
「だめ?やっぱおれ、どうしても帰らなくちゃだめ?」

遮るように言われて、ダメと言いかけた言葉が喉の奥に消えた。


「マジで床で寝てもいいから、だから今日はおれのこと泊めて?一緒にいさせて」
「床でなんか…寝せないよ」


明日、対局を控えている大切な恋人にそんな仕打ちはしないよと、溜息まじりに言ったら進藤は黙った。

黙ってからしばらくたって、えーとと言った。


「それって…もしかして泊っていいってこと?」
「だって、仕方ないじゃないか。キミは戻ってきてしまったし、これから帰るにしても電車はギリギリだろうし」

それに何より、ぼくも本当は寂しかったからと、言った途端、再びぎゅうと強く抱きしめられた。


「なんだ、そっか、寂しかったか」

じゃあ全然寂しく無いようにしてやるからと言われてかっと全身が熱くなった。

「別に何も―」
「ベッド狭いけど、くっついてればいいもんな」

いきなり勝手に妄想を走らせている進藤は、嬉しそうに言うと、思い切り強くぼくを抱いてから、それからぱっと戒めを解いた。


「どうする?じゃあ、やっぱメシでも食いに行こうか?」
「いや…もうあんまり食欲無いし」
「じゃあ、風呂でも入る?」


泊まれることになったのが余程嬉しいらしく、いそいそと用意をし始めた進藤の腕を思わず握って止めてしまう。


「なに?」
「あ…いや…なんでもないんだけど」


風呂よりも先に、寂しいのをなんとかして欲しいなと言ったら、きょとんとしてそれから笑った。

「おーけー、おーけー」

なんだすげえ可愛いじゃん。最初からそうやって可愛くしてろよと、言われて少々むっとしないでも無かったが。


「でも、ほどほどに…、隣も人がいるみたいだし…」
「あ?一人で契約してっから、他にも泊めてるとマズイんだ」
「いや、そうじゃなくて、聞こえるのは困るなって」

何がと言いかけて今度は進藤の顔が赤く染まった。
真っ赤になって、それからにやっとイタズラっぽく笑う。


「…いいじゃん、聞こえても」

むしろ聞かせてやろうぜ、寂しく単身赴任してるかもな、サラリーマンのオッサンにさと、言って進藤は笑いながら、ぼくが何を言う間も与えず、ベッドに押し倒すと言葉通りのことをし始めたのだった。


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いや、おもしろかったっす。マンスリーマンション。

防音はとっても良さそうなので、アキラ、ひーひー言わされてもきっと隣には漏れないんじゃないかなと(失踪!)


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しょうこ [HOMEPAGE]