風邪をひくからと人が何回も言った言葉を「暑いから」の一言で進藤は聞かなかった。
風呂上がり、暑いのはわかるけれど、いつまでも裸で転がっていたら冷えないはずは無いのに、手で自分の顔を扇ぎながら結局の所は居眠りしてしまっていて、ぼくが気がついた時には結構、肌は冷えてしまっていた。
「ほら、進藤」
揺さぶっても起きない。
どこでどうしてそういうことになったのか知らないけれど、頼まれて草野球に混ざってきた進藤は、だから非道く疲れていた。
「やっぱたまに体、動かさなきゃ駄目だよなあ」
帰ってくるなりごろりと横になり、ジムにでも通うかなあとつぶやいた。
「そんな、体力落ちてないだろう?」
本当に囲碁だけだったぼくに比べて、彼は友人も多く、時にはこんなふうにスポーツにかり出されることもある。 どちらかというとやせ気味の体に、ちゃんと筋肉はついていて、脱いだ時の体の線には見慣れているとはいえ、ほれぼれする時がある。
「でもやっぱ、前よりは全然落ちちゃったからさぁ」
ビールをふるまわれたとかで眠くてたまらないらしく、何度もあくびをかみ殺すのをなんとか風呂にだけは入れた。
けれどそこで気力が尽きてしまったらしい。進藤は出るなりろくに体をふきもせずに畳の上に転がるともうそのまま動かなくなってしまったのだった。
「…もう」
どうしてこうも人の言うことを聞かないのだろうと、今は安らかな寝息をたてている顔にしかめっ面をして見せる。
「ぼくが言うことなんか、うるさいとしか思っていないんだろうな」
ぼくはキミのお母さんではないし
ぼくはキミのお父さんでもない。
でも、だれよりもキミを大切に思っているのにと、それだけはわかってくれているのだろうかと少し悲しい気持ちでそう思う。
「進藤」
無駄と知りつつもう一度呼びかけて、でも返事が無いのにため息をつくと、ぼくは夏がけの布団を押し入れから出した。
夏の終わりは微妙で、エアコンをつけるほど暑くないくせに、窓を開ければ涼しい。
(寒いくらいだ)
そう思いい、布団をかけてやろうとした時に、進藤が寝返りをうった。 広い背中が晒されて、思わずそれに手を伸ばす。
ひやりと
やはり冷えてしまった肌は、でもぼくの手には心地よく、そのまま被さるようにして進藤の背に抱きついた。
起こさないように、重さをかけないようにして、日焼けした背に頬を当てる。
こんなに夏色をしているのに、こんなにも冷たい。 それは少し進藤自身にも似ているかもしれなかった。
燃える火のように激しいくせに、その底に似合わない冷静さがいつもある。
子どもの頃からそうだったのか、それとも棋士としての成長がそうさせたのかは知らないけれど、時たまその冷たい部分を見せられると、知らない人間と接しているような気がして少し寂しくなる時がある。
キミは変わる。 ぼくが変わらないのに。
今はまだ上にいるぼくをいつか棋力で追い越して、どこか遠くに行ってしまうのかと、そんな予感を抱きながら、でもまだ行かないで欲しいとそう思う。
ぼくはぼくのままでしかいられなくて、たぶんキミが行く時も同じ場所で止まっていると思うから。
ぼくはぼくの歩みで進みながら、でもキミの行く先も見たい。
だって彼はぼくが唯一と決めた相手だから。
「進藤…」
すりと頬をすり寄せながら、知らず涙がこぼれていた。
「キミと一つになれたらいいのに」
このままこうしてキミと一つになれたらいい。
そんなこと出来るはずは無いけれど、キミの一部になり、キミと共に生きていけたらと、そんなバカなことを思った。
夏の終わり
風の冷たい夜の出来事。
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