エンターテイメント日誌

2006年08月01日(火) ディズニー王国復活の狼煙

筆者は7月8日の日誌(←クリックで跳ぶ)でにおいて

数年前ディズニーは手書きのセル・アニメーションを捨てて今後CGアニメしか製作をしないなどと言う馬鹿げた(いや、狂気の)発表をしたわけだが、その宣言が撤回されるのも時間の問題だ。宮崎アニメを心の底から愛するラセターはセル・アニメーションの良さを十分理解しているのだから。

と書いた。その予言が的中するのは意外と早かった。ここの記事を見て欲しい。

ウォルト・ディズニーの死後低迷していたスタジオが第二の黄金期を迎えるのは「リトル・マーメイド」以降である。お家芸であるミュージカル・アニメーションが復活し、「美女と野獣」ではアニメ史上初となるアカデミー作品賞ノミネートを果たした。これが契機となり後にアカデミー賞に長編アニメーション部門が新設されることとなる。

この劇的な復活劇をもたらした功労者はまず、アニメーション製作部門の最高責任者であったジェフリー・カッツェンバーグであり、さらに「リトル・マーメイド」「美女と野獣」「アラジン」の作詞作曲コンビ、ハワード・アシュマンとアラン・メンケンの才能に負うところが大きい。しかし新生ディズニーの精神的支柱であったアシュマンが「アラジン」製作途中にAIDSで死去し、カッツェンバーグは「ライオン・キング」で大ヒットを飛ばした後アイズナー会長と仲たがいし失脚、ドリームワークスを設立するに到る。この辺の経緯はこちらに詳しい。

このようにして「ライオン・キング」以降は作品の質が著明に低下し、ヒットにも恵まれなくなる。またピクサー社の台頭でCGアニメーション全盛期となり、ディズニーはピクサー作品を配給することにより、自社製作作品の失敗をなんとか取り繕い細々と生き長らえてきた。凡打連発で焦ったアイズナーはピクサーに対抗すべくセル画アニメーターを大量解雇し、CGアニメ路線一本でやるなどという暴挙に出るのである。

しかし漸くディズニー冬の時代(大氷河期)も終わり、遅すぎた春がやって来ようとしている。悪の枢軸であるアイズナーは退陣した。そしてCGアニメの最先端ピクサー社の最高責任者でありながらセル画で描かれた宮崎アニメの最大の理解者であるジョン・ラセターが復帰(1979年から84年にかけディズニーに在籍していた)し、全権を掌握したのである。ラセターという燦燦たる光のもとディズニーは輝かしい第三の黄金期をまもなく迎えようとしている。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]