エンターテイメント日誌

2005年07月31日(日) 京極の夏、日本の夏

京極夏彦の"京極堂"シリーズが映画化されたことは誠に喜ばしい。誰が何と言ったって京極夏彦の最高傑作はシリーズ第二作の「魍魎の匣」(もうりょうのはこ)である。これを読み終わったときの衝撃は鮮烈だった。兎に角「魍魎の匣」映画版が観たいと即座に想った。はっきり言うが「魍魎の匣」に比べたらシリーズ第一作の「姑獲鳥(うぶめ)の夏」なんて長ったらしい前座に過ぎない。何で原作が長大なのかといえばそれはただ単に京極堂の蘊蓄がうんざりするほどクドイからである。推理小説としての真相は実に単純で大したひねりなど存在しない(「魍魎の匣」の想像を絶する仕掛けは圧巻だったが)。まさに「この世には、不思議なことなど何もないのだよ、関口君」である。

だから映画「姑獲鳥の夏」には大した期待は端からしていなかった。横溝正史の金田一シリーズみたいに、これから末永く映画化されていけばいいなという想いだけである。

映画版の評価はB-である。よくぞあの原作をこれだけコンパクトにまとめたものだ。元々大した真相ではないのだからこれくらいの尺が丁度相応しいのではないだろうか。京極堂の蘊蓄に長々と付き合わされない分、ホッとした。原作を端折りすぎという批判も多々耳にするが、だってしょうがないじゃない。原作に忠実にすると上映時間が5時間でも収まりきらないでしょ。まあ、「姑獲鳥の夏」についてはどうでもいいからさ、「魍魎の匣」についてはなんとか3時間くらいの尺は欲しいなぁ。そこのところ、プロデューサーの英断を期待してます。

京極堂を演じる堤真一と関口君役の永瀬正敏が意外とはまり役だった。ただし榎木津探偵の阿部寛は悪いんだけどミスキャスト。榎木津ってもっと線が細くて神経質なイメージなんだ。阿部ちゃんはがたいが良くて、健康的過ぎるんだよね。

今回のキャストで一番印象深かったのは原田知世である。年を取らない化け物女優として即座に思い浮かべるのはニコール・キッドマンと黒木瞳だが、原田知世も驚異的である。だって「時をかける少女」の頃とちっとも変わらないのだから。「姑獲鳥の夏」の回想シーンで高校生を演じても全く違和感がない。もう「時かけ」が公開されてから22年が経過しているのに!もしかしたら彼女自身がタイム・トラベラーなのかも知れない。「姑獲鳥の夏」には原田知世が温室で目眩を催す場面があるのだが、まるでそれがラベンダーを前にした「時かけ」の彼女の再現であるかのようなデジャ・ヴ(既視感)を抱いたのは決して偶然ではない。

実相寺昭雄監督の相変わらず凝りに凝った画面構図、編集はこの作品世界に相応しく見事である。ただし実相寺監督の最高傑作はTBSディレクター時代に撮った「怪奇大作戦」の第25話「京都買います」であるという筆者の確信は本作を見終えたあとでも些かも揺らぎはしなかったのだが。

美術も悪くはなかったが残念だったのは予算が乏しかったのかミニチュア撮影が些かしょぼかったことだ。久遠寺医院炎上の場面なんか「ウルトラQ」や「ウルトラマン」の時代から余り進歩していると見受けられなかった。ロジャー・コーマンの低予算映画「アッシャー家の惨劇」(1960)の炎上シーンの方が断然迫力があるってどうなのよ?


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]