エンターテイメント日誌

2005年08月06日(土) 福井晴敏イヤーの掉尾を飾る<亡国のイージス>

福井晴敏の書いた冒険小説「亡国のイージス」は日本推理作家協会賞、日本冒険小説協会大賞、大藪春彦賞のトリプル受賞し、「このミステリーがすごい!2000年版」では3位に入選した。「終戦のローレライ」は吉川英治文学新人賞を受賞し、雑誌「このミステリーがすごい!2004年版」では堂々第2位に輝いた。どちらも掛け値なしに面白い小説である。

しかし、映画「ローレライ」の出来には失望した。潜水艦やテニアン島などそのほとんどをミニチュアとCGに頼り切ってリアリティが皆無だった。元々原作自体がアニメや漫画の多大な影響を受けているだけに、映画自体もCGアニメを観ているような錯覚を憶えた(ピクサーの作品の方が遙かに出来が良い)。

その点、映画「亡国のイージス」は見事な仕上がりである。自衛隊の全面的協力の下、本物のイージス艦や戦闘機が登場するので、その迫力たるや「ローレライ」とは歴然たる差がある。

音楽担当としてハリウッドからトレバー・ジョーンズを招いたのも実に効果的だった。音楽が格調高いと、映画自体がワン・ランク格上げされたみたいに感じてしまうのだから驚異である。佐藤直紀が作曲した「ローレライ」の音楽はハンズ・ジマー(「ライオンキング」「クリムゾン・タイド」「ラスト・サムライ」)の稚拙な模倣に過ぎない。

脚本は原作のエッセンスを上手く抽出しているが、クーデターを起こした者達の想いとか登場人物の心理の流れが些か掴みにくかったきらいはある。まあこれは長い原作を映画化する際の宿命みたいなものだから致し方あるまい。舌っ足らずの部分は原作を読んで補完すれば良いのだから。その労力に値する小説なのだし。

娯楽映画として及第点だが、筆者はアクション・シーンにスローモーションを挿入する演出は好きではない。それにより映画が失速してしまうからである。スローモーションを使って良いのはそれがあくまで役者の格好良さに奉仕する、ジョン・ウーだけだ。そういう減点も踏まえ、映画の総合評価はBとする。

福井晴敏は原作が出版された当初から映画化を希望していた。しかしその時点では映画化は不可能とあっさり却下された。映画の規模が問題なのではない。その思想背景が危険だと目されたのである。「亡国のイージス」は戦後60年の日本の国防のあり方に異議を唱え、憲法九条を明確に拒絶している。この小説が映画化されたら、左翼勢力が騒ぎ出し東條英機を描いた映画「プライド・運命の瞬間」が公開されたときと同様に上映反対運動が起こることを映画プロデューサー達は懼れたのである。

だから「亡国のイージス」は諦めて、当初から映画化を念頭に作られた物語が「終戦のローレライ」である。しかし、「ローレライ」プロジェクトが進行している間に、世の中は確実に変化していった。北朝鮮による日本人拉致が白日の下に晒され、共産党や社民党は国会の議席を減らし左翼ジャーナリズムも勢いを失っていった。左翼の高齢化も深刻な問題である。さらに憲法改正は具体的な見取り図が描かれる段階まで来ている。そんな時勢が後押しするかのように急転直下、「亡国のイージス」映画化が実現したのである。そして映画の観客も殆ど抵抗感無くこの物語を受け入れている。時代が遂に福井晴敏二追いついたのである。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]