エンターテイメント日誌

2004年11月18日(木) 崔洋一の軌跡と<血と骨>

崔洋一監督の映画は嫌いだった。内なる暴力願望を映像に叩きつけた「マークスの山」は緻密に構築された原作を粉砕し、嫌悪感以外の感情を抱けなかったし、キネマ旬報第一位を受賞した「月はどっちに出ている」も全く面白くなかった。乱暴な映画を撮る人という印象でしかなかった。

しかし、「刑務所の中」を撮った頃から崔監督の作風に変化が現れた。「刑務所の中」は淡々とした描写でむしろ飄々と撮っているという雰囲気で、なんだか崔さん枯れてきたなぁ、まるで好々爺みたいだという感慨を抱いたし、そのあとがあの大ヒットした盲導犬のお話「クイール」なんだから仰天した。これはむしろ転向と言っても良いくらいだった。崔さんどうしたんだ、骨抜きになっちまったのか!?と他人事ながら心配したくらいである。

しかし崔監督は原点に回帰してきた。6年間に渡り梁石日原作の「血と骨」を暖めていたのである。シナリオ第2稿の段階ではそれをそのまま映画化すれば5時間半に及ぶボリュームだったという。それをさらに改稿を重ね、削りに削って最終的には2時間半の作品に凝集した。だから映画の印象はダイジェストの感を否めず、それをナレーションで誤魔化した節がある。しかし、確かにそういう欠点はあるものの、それを補って余りある面白さがこの映画にはある。筆者の評価はB+を進呈する。

「血と骨」は昔の崔映画のように全編血と暴力で彩られている。しかし、以前筆者が感じた嫌悪感は今回抱かなかった。そこに崔さんの円熟を感じた。いくら主人公が破天荒で暴力的であっても、暴力でしか自己表現出来ない人間の哀しみがその行為を通じて画面から滲み出てくるのである。「殺人の追憶」でも卓越した仕事をした岩代太郎のまるでレクイエムのような静謐な音楽がその効果を高めることに貢献している。

この物語は朝鮮移民版「ゴッドファーザー」と呼んでも差し支えないだろう。特に映画の冒頭、移民船から人々が大阪の風景を見つめる場面は「ゴッドファーザー part II」を彷彿とさせた。しかしイタリアの移民船から見た自由の女神には希望があったが、大阪の工場の煙突から吹き出される煙は汚くくすんでいた。

「ゴッドファーザー」で描かれるイタリア・マフィアはなによりも家族の絆を大切にしたが「血と骨」の主人公・金俊平は全く家族を顧みない畜生道に墜ちた男で、全く何という違いだろう!その対比が面白く、<在日>であることに拘り続けた崔監督の面目躍如、ここにあり。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]