エンターテイメント日誌

2003年10月08日(水) 女流監督が描く女流画家

ジュリー・テイモアはディズニーが製作した舞台ミュージカル「ライオンキング」で女性として初めてトニー賞の演出賞を受賞した。これは画期的な事件だった(その後スーザン・ストローマンが「プロデューサーズ」で受賞)。アニメーションの「ライオンキング」は所詮、手塚治虫の「ジャングル大帝」のパクリで、それにハムレットの要素を加えただけの愚作である。しかし、舞台版の「ライオンキング」はテイモアの独創的アイディアが詰まった大傑作である。ペルソナ(仮面)劇を主体としながら,それに例えばインドネシアの影絵芝居ワヤン・クリットの要素も加味したりしてテイモアの前衛的演出とディズニーの分かり易いエンターテイメント性が奇跡的に幸福な融合(フュージョン)をした見応えのある作品に仕上がっている。

その後テイモアは劇場映画に進出し1999年にシェイクスピア原作の「タイタス」を撮る。これは確かに意欲作で、とても女性監督とは想えないくらい残酷で退廃的なエロ・グロ要素たっぷりの映画であった。しかし、確かにその才能は発揮されてはいるが、「ライオンキング」のようなエンターテイメントは影を潜め、バランスを欠き一般の観客には受け容れ難いものであった。

そして最新作「フリーダ」の登場である。メキシコの誇る情熱の女性画家フリーダ・カーロ(1907〜1954)の生涯を描くこの映画は女優サルマ・ハエックが長年温め続けた企画であった。彼女がプロデューサーとして資金集めに奔走している間に、なんとあのジェニファー・ロペスまでフリーダの生涯を演じたいと言い出した。それに対抗してサルマはフリーダの遺族を説得、彼女の絵を独占的に使用する許可を得た。そしてジェニロペの企画は頓挫した。

このようにサルマ・ハエックの並々ならぬ熱意に動かされテイモアが乗っかった形であり、つまりテイモアは今回雇われ監督なのである。このことが作品に有効に機能した。「ライオンキング」の奇跡は再び起こったのである。映画を観て驚いたのはその分かり易さである。程よい娯楽性をもった物語がテイモア独自の個性、斬新な演出法で料理され絶妙な味わいの映画に仕上がった。「ライオンキング」でも登場した人形劇へのこだわりなども垣間見られてすこぶる面白かった。

フリーダ・カーロそのひとが乗り移ったかとさえ想えるサルマ・ハエック熱演も勿論だが、特質すべきはアカデミー賞を受賞したその充実した音楽だろう。テイモアの夫であるエリオット・ゴールデンサルはギターを基調としてリズミカルで火傷しそうなほど熱い、ラテン要素たっぷりの曲を書いた。やはりアカデミー主題歌賞にノミネートされた唄も素晴らしい。筆者は「エデンより彼方へ」のレビューで、その音楽を書いたエルマー・バーンスタインにオスカーをあげたかったと書いたが、前言を撤回する(笑)。「フリーダ」の受賞は必然であった。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]