エンターテイメント日誌

2003年09月20日(土) ロボコンと山口百恵

本当は「呪怨2」「ファム・ファタール」「座頭市」など既に観ていてレビューをアップしないといけない作品が溜まっているのだが、今はとにかくロボコンだ。これは前回の日誌(←未読の方はクリック!)からの続きである。

9/13日と14日の週末興業成績ランキングを見てがっくりきたのは公開初日を迎えたばかりの「ロボコン」がランク・インしていないことである。「踊る大走査線」はともかく、「座頭市」「呪怨2」や上映5週目の「ゲロッパ!」よりも成績が悪いということは一体全体どういうことなんだ!?まあ、同じく初日を迎えたモー娘。の「青春ばかちん料理塾/17才・旅立ちのふたり 」も入っていないから良いか…って、そういう問題じゃないだろ(笑)!「ロボコン」みたいな傑作がヒットしていないというのは返す返すも無念である。「座頭市」ごときよりも何倍も面白いのに。という訳で今はとにかく声を大にして応援を続けたい。

「ロボコン」が興行的に成功出来なかった原因は東宝の宣伝戦略の失敗もあるのだろうが、タイトルにも一因があるのではないかと推察する。例えば僕らの世代から言えば「ロボコン」で連想するのはロボット・コンテストではなく、子供向けテレビ番組「がんばれロボコン」の方だもんな。石ノ森章太郎さんがデザインしたロボコンは当時の子供たちのアイドルだった。だから「ロボコン」=お子様向けという印象を最後まで払拭出来なかったのではなかろうか?

ちなみに「がんばれロボコン」でロビンちゃんを演じた子役、島田歌穂さんは後にミュージカルの大スターになり「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役で一世を風靡。同役のソロ・ナンバーOn My Ownをエリザベス女王の前で唄うという輝かしいキャリアを築いた。閑話休題。

さて、映画「ロボコン」の劇中、ヒロインの長澤まさみが山口百恵の「夢先案内人」(作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童)を唄う場面がすこぶる印象的だったことは前回の日誌で書いた。実は今年、山口百恵はデビュー30周年を迎え、たとえばそれを記念した24枚組のボックス・セット(定価29,800円)が発売され、なんとオリコンのヒット・チャートで8位にランクインするという快挙を成し遂げた。未だに彼女の人気は衰えることがない。同時期にスペシャル・プライスで再発売されたあの武道館における伝説のさよならコンサートを収めたDVDが丁度手元に届いていたので、「ロボコン」を観終え帰宅して直ぐに鑑賞した。

本当に山口百恵は大スターだったと改めて認識した。引退時弱冠21歳。そんな若さを全く感じさせない成熟した大人の女の色香。そして心に染み入る唄の数々。そこに込められた深い情感。引退後23年間一切マスコミに登場しない潔さも素晴らしい。なかなか出来ることではない。歌謡界の原節子と呼んでも大げさではないだろう。また、今回さらに感銘を受けたのは作詞:阿木燿子、作曲:宇崎竜童のコンビ作の唄の完成度の高さである。是非このふたりには今後もミュージカルの世界などで活躍してもらいたい。

小学生の頃、山口百恵は僕にとって掛け替えのないアイドルだった。「赤い衝撃」「赤い疑惑」など彼女が出演したテレビシリーズは毎週欠かさず観ていた。あれから四半世紀が過ぎたが「百恵ちゃん、大好き!」という気持ちは今も全く変わらない。そのことを再確認した僕は、自分自身のことを愛おしく、そして誇らしく想う。これは決してノスタルジイではないだろう。

大林宣彦監督は「さびしんぼう」というタイトルの映画のヒロインをさがして、当時デビューしたばかりの山口百恵という少女に逢ったという。結局その時点では映画「さびしんぼう」は実現に至らなかったのだが、その少女を気に入った大林監督は彼女を「グリコ」のCMに起用、そこで百恵は三浦友和という青年と初めて出会うことになる。1974年のことだった。その後このゴールデン・コンビによるシリーズは何年間も続き、ふたりの愛はそこで育まれた。

三浦友和は大林監督の劇場映画デビュー作「HOUSE ハウス」(1977)に友情出演し、大林監督は友和・百恵の結婚前のプレゼントとしてふたりが共演する映画「ふりむけば愛」(1978)をサンフランシスコで撮った。以降も友情は続き、三浦友和は大林監督の最新作「なごり雪」でも主演している。この名作「なごり雪」で友和と共演したのが当時まだ13歳だった長澤まさみ。そして今度はそのまさみが「ロボコン」で百恵を唄う。不思議な縁(えにし)である。

映画は繋がっている。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]