エンターテイメント日誌

2002年12月04日(水) 宇多田ヒカルと<たそがれ清兵衛>

宇多田ヒカルが自身のホームページ上で山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」について感想を寄せている。タイトルは「TGSとSBK」。TGSは「たそがれ清兵衛」、SBKは「スケボーキング」を指しており、今、宇多田がはまっているものだそうだ。

宇多田は、同作に触れるくだりでこう語る。「TGSって言ったら貴方!”たそがれ清兵衛”ですよ!たそがれ清兵衛っっ!」「いやあ、美しい宮沢りえさん目当てで観に行ったんだけど、大切なことだけを大切にしたシンプルなストーリーに、泣いてしまったよ。イイこと言うんだなぁ、これがっっっ」

僕はこれを読んで呆れ果てた。なんでわざわざ英語読みにして略語化するんだ!?TGSをわざわざ「たそがれ清兵衛」と説明するのなら、最初から単に「たそがれ清兵衛」だけでいいじゃないか。大体純日本的な時代劇だし。英語表記にする意図が皆目分からない。

宇多田は世界自然保護基金チャリティーイベントに出演した際、恵比寿のウエスティンホテル東京で開かれたその会見では、競演する米女性3人組、TLCと米グラミー賞歌手、モニカ続き、コンサートへの意気込みを聞かれて、「えっと、あの…日本語でやると他の方たちがわかんないから、ちょっと失礼かと思うので、英語でやろうと思います」と英語で応対した。日本のファンに対して失礼という感覚はないのだろう。

また、"SAKURAドロップス"という唄をリリースした時、何故SAKURAが日本語ではなくローマ字表記なのかと訊かれて、「その方が曲に相応しいと思ったから。」と答えている。

つまり彼女は日本語を使うよりも英語にした方がおしゃれ、あるいはカッコいいと勘違いしている軽薄な女なのだと僕は想う。宇多田よ、貴女は純粋な大和撫子ではないのか?なんでそんなに米国人に媚を売るのか?そんなやり方が真の国際化だとでも信じているのか?母国語をも大切に出来ない民族の行く末は滅亡しかないと僕は信じて疑わない。

さて、横道にそれたが、その「たそがれ清兵衛」である。

僕は山田洋次監督の映画は大嫌いだ。その左翼思想がいつも鼻につくからである。山田監督が左翼映画作家であることの証拠は沢山ある。まず選挙の時はいつも日本共産党を応援するメッセージを寄せている。そして現在北朝鮮との合作映画の企画を進めているという報道も記憶に新しい。ちなみに検索エンジンGoogleで<山田洋次>と<左翼>というキーワードを掛け合わせると118件ヒットし、<山田洋次>と<共産党>では194件ヒットすることからも明らかであろう。

大体、山田監督は東大出身のエリートのくせして、庶民派を気取るところがいかにも胡散臭い。有名な寅さんという存在は定職にもつかず、放浪の旅を続けるといういわば社会主義思想の<ユートピア>に住む住人なのである。「学校」など常に労働者階級を主人公とし、名作と言われる映画「幸福の黄色いハンカチ」で山田監督が最後に風にはためかせたかったのはハンカチではなく、実は赤旗であったと僕は信じて疑わない。

しかし、余りにも「たそがれ清兵衛」の評判が良いので仕方なしに観に行ったのだが、観終わって今回は大変悔しい想いをした。文句のつける隙がない、傑作と認めざるを得なかったからである。

確かに山田映画らしい左翼思想の片鱗はある。たとえば組織の論理に翻弄される個人の悲劇を描いている点、宮沢りえ演じるヒロインが武家の生まれながら禁じられている庶民の祭りを見物に行く場面などである。しかし、本作ではそれが決して声高な主張にはならず、エンターテイメント作品として見事に調和がとれた仕上がりになっているのである。主人公の言いたくても言えない恋の想いが切なく、決闘場面も緊張感があり、娯楽作品として純粋に面白かった。

こんなことは癪だから本当は言いたくはないのだけれど仕方がない。「たそがれ清兵衛」は必見の名作である。


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雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]