エンターテイメント日誌

2002年02月11日(月) イタリア人気質と家族の絆…<息子の部屋>

イタリア映画「息子の部屋」を観た。
カンヌ映画祭パルムドール受賞作。地味で淡々としているが、しみじみ心に滲みる良い映画ではあった。ナンニ・モレッティ監督は左翼思想の持ち主で、そういう政治的メッセージを含んだ映画を撮ってきた経緯もあるようだが、「息子の部屋」には少なくともそういった要素は薄められていた。寧ろ浮かび上がってくるのは「家族の絆」である。

イタリア映画などを長年観ていると、イタリア人というのは他の国にもまして家族を大切にする国民性があるなあと常々感じてきた。フランス映画「グラン・ブルー」に登場するジャン・レノ扮するイタリア青年は「ママのパスタは世界一だ」と大いに誇りにしていた。そしてイタリア移民の息子、フランシス・フォード・コッポラが監督した「ゴッドファーザー」はマフィア組織を題材にした「ファミリー」の物語である。マーロン・ブランド演じるシチリア島からの移民ヴィトー・コルレオーネはなによりもファミリーを大切にする。そして後を継いだマイケル・コルレオーネは肉親をも信じることが出来ず、それ故に孤立し、ファミリーは崩壊していく。

コッポラ自身もファミリーを大切にする監督である。「ゴッドファーザー」には姪の女優タリア・シャイアを起用し、そのパート3では娘のソフィア・コッポラを何と途中降板したウィノナ・ライダーの代役として(!!)起用し、世間から非難を浴びた(笑)。「ゴッドファーザー」はニーノ・ロータの音楽が名高いが、コッポラの父カーマインも一応音楽担当に名を連ね、全く退屈な曲を書いている(^^;。「地獄の黙示録」でもカーマイン・コッポラが作曲ということになっているが、有名になったのはザ・ドアーズの「ジ・エンド」やワーグナーの「ワルキューレの騎行」など既成曲ばかりであった(選曲は恐らく監督自身がした筈だ)。

結局このコッポラ・ファミリーの人たちの実力はコッポラ作品以外では全くハリウッド映画界において相手にされないレベルであり、彼らの起用がコッポラ作品の傷となったという一面もある。実はその家族への温情・詰めの甘さゆえに、コッポラは真の巨匠になり得なかったのではないかと僕は邪推する次第である。


 < 過去の日誌  総目次  未来 >


↑エンピツ投票ボタン
押せばコメントの続きが読めます

My追加
雅哉 [MAIL] [HOMEPAGE]