熱い洋楽コネタコラム

2004年01月15日(木) フレ〜、フレ〜!オアシスっ。

 音楽ニュースを読んでいたらダークネス”全身タイツ”ジャスティン・ホーキンスが、オアシスの悪口を言ってた。どうやらヤツらは今、アメリカでプロモ―ション中で、どうにかそれが効を奏して少しは名が知れてきたらしい。そこで「オアシスがアメリカで売れなかったのは怠慢だから」とか、かと言ってオアシス、どうせ大したことないから売れるワケないし〜〜みたいなニュアンスを言っていた。
 いや。別に私は今更ギャラガー兄弟を大々的に援護するほど熱烈ファンちゅ〜わけじゃないっすよ。でもさ。言わせてもらえば、このあいだの初来日公演ヘロヘロだったじゃん、ホーキンス君?もっとエンタテインしてくれるのかと思ったら、ただのヘヴィメタ・バンドでさ〜。オバちゃんは遠くお台場くんだりまで行ったのに疲れちゃったよ。帰り際、友達と「つまんねぇ男だったね」とか、まるで合コン帰りのOLオネエちゃんみたいなこと言い合っておりましたわ。
 そんな男になんか偉そうに言われたら、ちょっとカチンときちゃったわけでぇ。そりゃ、そんなところで引き合いに出される=UKロックといえばオアシス…という勲章の証なのかもしれんが。しかしホーキンス、図に乗るんじゃね〜よ〜。
 ……と。こんな風にギャラガーズについ肩入れしてしまうのってやっぱりローディー時代のノエル・ギャラガー君にお世話になったからだろうか?ギャラガー兄君。インスパイラル・カーペッツ(マンチェ・ブームの中、牛のイラストでお馴染みだった…。アルファ・レコードと捨て身の牛着ぐるみプロモなどもやりました……)でギター・テクニシャンとして働いていたギャラガー兄君は、今よりずっと若くて(当然)今よりずっと痩せてて(ヤクやりまくりだったと後に本人回顧…泣きっ)そしてインスパのクリント・ブーン兄ぃにいつもピッタリとくっついてニコニコしてた…。私がパスがもらえずオタオタしていたときに、「じゃ。僕がツアマネに聞いてきてあげるぅ」ともらってきてくれたのもノエル兄ぃでした。並んでゴハン(ケイタリング)も食べました(笑)。楽屋裏口でハッパでキメキメになられて、グタ〜としたお姿も拝見しました。
 しかし。オアシスとして初めて日本の地を踏まれた兄ぃに「ノエル!お久しぶりぃ!インスパでよく会ったよねぇ」と言ったら、兄は「なんのこと?インスパなんて知らないもんっ」って言ってぷいっとソッポを向かれました。しかし兄ぃ。そう言いながら笑いをかみ殺せきれず、肩が震えてた…。ウソ、つけないんですね?
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