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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2005年12月11日(日) --

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☆読後の充実感。

小説のラストって、どうあって欲しいですか?

先日、『石のハート』(著/レナーテ・ドレスタイン)と『パイロットの妻』(著/アニータ シュリーヴ)を読み終わった。ヒロインの味わう人生の過酷さやそのシリアスで重苦しいストーリーにもかかわらず、読後は幸福な充実感に包まれた。

小説の書き出しももちろんそうだけれど、小説のラストもどう結着をつけるのか、どう決着がつくのか、読み手としても難しいと感じるところだ。

小説のラストについて、砂の詰まった頭で訥々と考えているのだけれど、その前に、何と言っても美しい最初の一行に引き込まれた本。
それは、ウイリアム・アイリッシュの『幻の女』

夜は若く、彼も若かった。
  夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。 */ 引用

中高生だった私は、この一文のセンチメンタルかつ、今まで読んでいた日本の小説には感じられなかった文体の「乾き」に一気に引き込まれ、ミステリやハードボイルド(特にチャンドラーの著書)のみならず、翻訳小説そのものを深く愛するようになった。今考えれば、それは、原作の魅力だけでなく、翻訳者の功績でもあるのだが。

小説のラストの話に戻ってくると、私の中では4つの分類があって、
(1).もうちょっと先まで読みたいと思うところで終わっている。
 →そして、それが成功しているパターン。
(2).もうちょっと先まで読みたいと思うところで終わっている。
 →しかし、その先が書かれていないことで不満が残るパターン。
(3).もうちょっと先まで読みたい、その先が描かれている。
 →その先が描かれていることで、さらに深みや魅力が加わっているパターン
(4).もうちょっと先まで読みたい、その先が描かれている。
 →それが完全な蛇足となっているパターン。

私にとって、(1)のパターンの代表が『しゃばけ』(著/畠中恵)のシリーズで、それぞれの短編は収まるところに丸く収まって、できればそのうまく収まった先まで読みたいなあと思う、絶妙なタイミングで話は終わる。多分読み終わった読者の心の中で、それぞれの幸福な続編が綴られているのだろう。

(2)のパターンは、ラストに賛否両論があった『柔らかな頬』(著/桐野夏生)
確か、直木賞の選考委員の誰かが、あと何行かでラストをはっきりさせることができたのに、不親切な小説だというようなことを書いていたのを読んだ記憶がある。私自身も読み終わって、そうあと2-3行あればすっきりできるのにと、小説の主人公と同じような煩悶を味わった。それがその終わり方の狙いなのだとわかっていても。

(4)のパターンは、そのラストのあり方で今までが全部ダメになってしまうので、駄作として、結局、何の印象も残さず、作品そのものが忘れ去られている。だから、あげるべき例が思い出せない。そう考えると、たとえ不満が残っても、『柔らかな頬』は忘れられない一冊ではある。

最後に、(3)のパターン。
これも色々あるけれど、今はやはり『パイロットの妻』
物語は3部構成になっている。しかし、たとえ2章で結末を迎えても、充分完結している。もしかしたら、ここで終わった方が、インパクトは強かったかもしれない。けれど、500P弱(文庫版)の小説の中のわずか20P程度の3章があることで、読後の充実感が大きく違った。
もともと図書館で借りてきた本だったが、ちょうど文庫版が出たこともあり、本を返したその足で、この文庫本を買ってきた。もちろん、3章を読み返す。 そしてやはり、物語にも人生にも、希望は必要なのだと、そんなことを思いながら、ここに忘れないようにと、書き残している。

『パイロットの妻』をいつかちゃんと紹介したいなと思いつつ。(シィアル)

2001年12月11日(火) 『ウッドストック行最終バス』
2000年12月11日(月) ☆ ムーミンとわたし

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