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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2005年03月09日(水) --

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『猫にかまけて』その1

猫仲間の友人がすすめてくれた本。

読みながら自分がどんな表情をしているだろうと 思ってしまうような、猫たちの物語。 猫にかかわって生きている、人間の物語。

作家と猫は、縁深い、と思う。 著者の町田さんとは何の共通事項もない(ロック関係は別として 読むのは初めてなのだ)が、 お互いに(勝手ながら)、「世の中に悪猫はいない」と 思って生きているのは同じである。 どんないたずらをしようと、それは、誘発させた私たちのほうに 責任があることで、猫はただ、猫として生きているだけである。

読んでいると、めぐる思い出とともに、 なつかしい「彼ら」のぬくもりがよみがえってくる。 そもそも、彼らはなぜ、私たちよりも体温が少しばかり 高くてあったかいのだろうか? それは身体が小さいから、というだけなんだろうか? それとも、人間の子どもぐらいの体温をまねているのだろうか? どうして彼らは、人間を「おかあさん」とみなすのだろうか? 犬よりもずっと身近にいて生き残るために、無防備な赤ん坊を演じて いるのだろうか? もっと根本的に、どうして彼ら、特に子猫時代の彼らはあんなに 究極のかわいい姿をしているのだろうか?(人によってはそう思わないが) 本来ハンターである彼らは、そんな風にしなくても、 じゅうぶん生きて行けたはずなのに、 家のなかに入り、野生の半分を捨て、人とともに暮らす家猫たちは、 私たちをあたためなぐさめ力づけてくれ、 生きる姿を見せるだけで、私たちにいろんなことを さらさらと教えてくれるのだから。

タイトルは『猫にかまけて』となっていても、 読みすすむと、『仕事にかまけて』猫と遊んでやれなかった という、主の後悔も深いのだと知る。

前半に登場する猫たちは、ココアとゲンゾー。 どちらも貫禄たっぷりの、長生き家猫たちである。 彼らにほんろうされながら生活をともにする作家であり パンクロッカーでもある主は、時に、 「革服を着て黒田節を絶唱したくなる」(引用)のだった。

久しぶりに私の猫荒れした部屋を見た友人に、 「これはまずいでしょう。人間としてちょっと」と言われたのを思い出す。 言い訳としては、「まずいのは重々承知してるんだけど」と、 言い訳にもならない。柱は削れ、フスマはズタボロ、畳の見えているところは ひきちぎられ、段階を追って芯が見え、まるで構造見学用の見本みたいだ。 スピッツの歌ではないが、「ずっとまともじゃないってわかってた」(引用) というところか。

表紙の下半分をおおっているカラー刷りのカヴァーには、一見、 同猫かと見まがう美人和猫が一匹ずつ映っている。 本文を読むと、痛切にそうではないことがわかる。 どちらの子も、町田さんと暮らした(している)猫であるが、 表紙の猫が、「ヘッケ」で、裏表紙が「ナナ」(改名して「奈奈」となる)。 町田さんのもとにヘッケが先に来て、後からナナがやって来た。 顔の柄のほとんどと、女の子であることは同じ。 見分け方は、ナナの口まわりには、 薄黄色いコーヒー染みのような色が入っていること。 耳たぶの内側が、ヘッケは濃いピンク、ナナは白っぽいのは、 猫を飼っている人には周知だが、ヘッケが運動後、ナナが寝起き、 もしくはじっとしている時、という感じだろうか。 これが同じ色なら、さらに二匹は似てしまう。

しかし、猫にはほんとうに不思議な話があるものだ。 猫に親しんだ人で、そういう話をもっていない人はいないぐらい、 私たちの人生に関わる猫の往来には、 見えない世界とのつながりを感じさせられる。

いまでは大猫と中猫の二匹(本書によると二頭と呼んだほうが 猫に敬意を払えるのだが)に囲まれて暮らしている私も、 かつてはそんなことできないと思っていた。

→その2へつづく

(マーズ)


『猫にかまけて』著者:町田 康 / 出版社:講談社2004

2004年03月09日(火) ☆装いの苑。
2001年03月09日(金) ☆本を売る

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