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夢の図書館新館

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-- 2004年09月06日(月) --

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『ファージョン自伝』その2

エリナー、つまりネリーにとって、 子ども部屋時代に培われたものはあまりにも 深く根付いており、そこから離れることは たとえ成長のためであっても、簡単ではなかった。

ハリー、ネリー、ジョー、バーティー。 4人それぞれ、得意な分野も性格もちがったけれど、 子ども部屋に君臨した長兄ハリーの号令のもとに、 遊びから寝る時間まで"公正に"管理されていた。 上の二人、ハリーとネリーがコンビで、 天使のような弟ジョーは、小悪魔のような末っ子バーティーと 組んでおり、いつもバーティーに引き回されていたという。

この二人だけは一般の小学校に数年通ったおかげか、 後に二人とも結婚して家庭を持っている、というのは 言い過ぎだろうか。 学校に行かなかったのは、ハリーが幼いころ虚弱だったため、 家庭教師をつけていたのだが、ハリーはともかく、 身体が丈夫ではなかったとはいえ、何でもハリーと一緒にしたいネリーは、 喜んで家にいることを望んだだろう。

結果として、ハリーもネリーも生涯独身であった。 しかし、彼らの精神的な遺伝子が、多くの弟子 (ハリーは音楽院の名教授となった)や ネリーの愛読者に受け継がれていったことも、結果である。

キャラクターを演じること。 「TAR」がある日考案されたおかげで、きたえられた空想力。 父親のベンも母のマーガレットも、うすうす、子ども部屋で 何が起こっているのかは察知していたらしいが、 あえて深く干渉はしなかったという。

ほとんどの場合、原典から入り乱れたキャラクターたちを 数人で演じ分けるため、一人何役かが当てられていた。 彼らが演じたキャラクターは、ギリシャ神話の英雄から、 シェイクスピア劇をはじめとする演劇やオペラなど舞台の人物たち、 小説や詩に出てくる人物、 歴史上の人物、果ては動物まで、時々の人気によって 変遷していったという。

誰が誰を演じるのかを決めたのも、すべてハリーだった。 公平な兄は、何においても嘘やごまかしを自分自身にも認めなかったため、 皆に信頼されていたのだ。 こうして、血を分けたきょうだいという狭い人間関係でありながら 最初の「社会」のなかで、密かに楽しまれた「TAR」は、 高度な知的娯楽でもあったし、家庭内音楽発表会や 家族新聞といった文化クラブ的活動とも、切り離せないつながりを もっていたことだろう。

しかし、どこかで人は気付く。 このままではいけない、と。 「TAR」に溺れてしまっている妹を、兄のハリーはどこかの時点で その鎖から放とうと決意したにちがいない。 王立音楽院という外の世界に触れ、 人間関係を広げたハリーによって。

それらは、あくまでその場の即興芝居であって、 紙には書かれなかった。 あれほど書き散らし、家族の新聞まで発行し、 詩はもちろん、芝居やオペラまで書いていた兄妹たちが。

即興芝居だからこその妙味が、「TAR」にはあったのだろうか。 けれども、わが身を振り返れば、幼い頃、やはり、 独りでではあったけれど、「TAR」に近い遊びをしていたと思う。 それらは、決して紙に書かれることはなかった。 ことばとなって外に出るものでもなかった。 それは現実と夢の奇妙な融合で、 書けば失われるもろさを秘めた遊びだったから。

そして、エリナー・ファージョンが詩人・作家としての 基盤を築いてゆくのは、つまり、10代のネリーが 「わたしは自分の人生をむだにしちゃったのよ」と母に泣きついた "作品を完成させられない"というジレンマを克服し、 完成された珠玉の短編によってその作家性を現してゆくのは、 「TAR」の支配から放たれた後だったのである。

それができたのは、ネリーが自分の本質を知ったからだと思う。 ペンを取りさえすれば、ちゃんと書けるはずなのにと泣いた娘は、 人生の後半にかかる道のどこかで、自分と出会ったのだ。 (マーズ)


『ファージョン自伝』著者:エリナ・ファージョン / 監訳:中野節子、訳:広岡弓子・原山美樹子 / 出版社:西村書店2000

2002年09月06日(金) 『模倣犯』+『青の炎』

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