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夢の図書館新館

お天気猫や

-- 2003年11月19日(水) --

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☆教科書を、読む?(その2)

■ 心に残った物語は、何ですか?

それでも、『ごんぎつね』だけでなく、『めもあある美術館』など、 小学校時代の思い出に残る物語もいくつかはある。 けれど、それよりはるかに、図書室で借りて読んだ、 世界各国の民話伝承をベースとしたアンソロジーの方が ずっと私の中に残っていた。 ただ、「三つ子の魂 百まで」というけれど、 『めもあある美術館』のことを大人になって、 とても懐かしく思い出すようになり、 あるサイトのオーナー様のご厚意で、 再び読むことができた時、 初めてこの物語を読んだ時のさまざまな思い、 不思議なこの物語に触れることのできたその喜び、 そういうものを追体験することができた。

中学生の頃は、思い出が空っぽだ。 なぜだか分からないけれど、教科書の内容を ほとんど思い出すことができない。 当時、自分自身が一生懸命読んでいた本は、 よく覚えている。 毎日、毎日、友達と一緒に通った本屋さんの棚の本だって覚えている。 友達が読んでいた本だって、知っている。 でも、教科書に載っていた作品は、思い出せない。 思い出したくない何かが、そこにあるのだろうか(笑)

しかし、高校の教科書に載っていた 安部公房は、強烈だった。 そう、教科書で『棒』を読んだ時、 そのシュールさには驚いた。 高校生の時、現代国語の授業で読んだっきりだが、 今もふっとラストシーンを思い出す。 日曜日のデパート雑踏の中で、 棒になり、階段の手すりをすり抜けて落ちていく男。 当時は、設問に答えるべき「答え」としてだけしか男のことが分からなかった。 面白いとは思ったが、理解を超えるものだった。 だが今は、その男の渇いた孤独を理解できるようになってきている。 映像のように鮮やかにそのシーンが思い浮かぶし、 床に落ちた棒の虚ろで乾いた音も確かに聞こえる。

また、同じ安部公房作品の『赤い繭』もショッキングだった。 数年前に、知人から見せてもらった教科書の中の一編。 これを読んだ高校生たちは、どんなことを考えただろうか。 これもラストシーンだけれど、 男が、糸をたぐりどんどんと引っ張っているうちに、自分自身がほつれはじめる。 そのうち、糸は勝手にほぐれていき、ついには、自分が消滅してしまう。 そして、そこには大きな「繭」が残り、その中でやっと安息を得る男。 国語の授業ではないから、何の意味づけもテーマ探しもせず、 ただただ、唖然とした気持ちのまま、本を閉じた。 仕事や人間関係に疲れ切った時、 そんな時によく、この物語を思い出す。 私も無になりたいのだろうか。 私も解放され繭になりたいのだろうか。 そんなことを自分に問いながら。

つまらないと思ってはいても、 教科書は、確かに「きっかけ」をくれた。 普通なら、自分が選ばないような本との出会い。 自分の好みからはかけ離れているようにずっと思っていた本を 確かに、引き寄せてもくれていたのだった。

※物語は私の記憶の中で再編されて、 元々の物語とは大きく変化しているかもしれません。 (シィアル)


『友達 棒になった男』著者:安部公房 / 出版社: 新潮文庫1987 『壁』(「赤い繭」収録)/ 出版社:新潮文庫1969  ※『棒』はのちに、『棒になった男』として、戯曲化されました。

2001年11月19日(月) ☆新聞の訂正記事 その(2)
2000年11月19日(日) 『万国お菓子物語』

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