30年前の今頃は、必死に『三国志』を読んでいた。 繰り返し繰り返し、10回は読んだと思う。 そのせいで、妙に天下人になったような気がして、大きな顔をして日々を過ごしていたような気がする。 ブルースリーの映画を見た後に、強くなったような気がするのと同じである。 ちょうど浪人中だったのだが、これがいけなかった。 「おれにはやるべき大きな仕事があるんだから、勉強なんて馬鹿らしくて出来るか」などと思ってしまったのだ。 正月までこの状態が続いた。
『三国志』を読みだしたのはその年の10月だったが、それ以前に読んでいたのが『中原中也詩集』で、こちらは8月中旬、つまりお盆から読みだした。 これまた勉強を妨げるのにはもってこいの本だった。 それを読んで中也に傾倒してしまい、中也であろうとしたのだ。 詩風を真似し、生活態度を真似した。 その年譜に「大正9年 …このころより読書欲起こり、学業を怠る」とあるのだが、それまで真似してしまったわけだ。 それから『三国志』と続いたわけだから、その間、つまりその年のお盆から翌年の正月までの約5ヶ月間、まったく勉強しなかったことになる。
正月を過ぎてようやく目が覚めて焦りだすのだが、元々学業の才能を持ち合わせていないぼくが、そんな時期から勉強を始めても、間に合うわけはない。 落ちるのも当然である。
さて、読書の方だが、現実に目が覚めてからまったく読まなかったわけではない。 勉強の合間合間に読んでいた。 だが、以前のようにそれに「なりきる」まで深く読みはしなかった。 そういう読み方になるのは、受験後に『織田信長』を読み出してからだ。 またもや天下人である。 しかも、今度は気が短いときている。 現在、ぼくには短気なところもあるのだが、それは信長になりきっていた時代の後遺症である。
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