| 2005年09月27日(火) |
延命十句観音経霊験記(4) |
しかし、それで治ったわけではなかった。 その夕方にはまた鬱状態が訪れた。 翌日もそういう状況だった。 それからしばらく、霊験が現れ、また鬱状態が訪れるという、一進一退の状況が続いた。 それでも諦めずに、ぼくは延命十句観音経を唱え続けた。 すると、およそ2週間ほど経ったある日、二度目の霊験が訪れたのだ。
場所は帰りの電車の中だった。 その日は仕事の関係で遅くなってしまい、最終の何本か前の電車で帰ることになった。 ちょうど快速が出たばかりで、ぼくの乗った各駅停車は、乗客がまばらだった。 そのためゆっくり座って帰ることが出来たのだが、あいにくその日は本を忘れてきていて、何もすることがない。 そこで、この時とばかり、目を閉じて静かに口の中でお経を唱えることにした。 そうやって、いくつかの駅を過ぎた時だった。 どこからともなく、ぼくが口の中で唱えているお経が聞こえてきたのだ。
低い男性の声だった。 ぼくは、ハッとして周りを見回した。 しかし、ぼくの周りにはお経を唱えている人はいない。 そこで立ち上がってその車両の隅々まで見回してみたが、しゃべっているのは女性客ばかりで、男性のほとんどは眠っている。 そうやって、ぼくが落ち着きなくキョロキョロやっている間も、そのお経の声は聞こえていたのだった。
その時は気味が悪いと思っていたのだが、家に帰ってよくよく考えてみると、これも霊験なのだという結論に達した。 「ということは、このお経の力が、確実にぼくを回復の方向に向かわせているのだ」 そう思うことにした。
そして、それから10日ほどして、三度目の霊験が現れたのだった。 それは仕事中のことだった。 その日は朝からヘソの下が何かムズムズしていた。 ところが、仕事中にそのムズムズ感は火照りに変わった。 別に下腹に熱が出たわけではなく、ヘソの下のある部分が火照っていただけだ。 そのため、最初は「おかしいな」と思いながらも、気にしないようにしていた。 しかし、午後になっても火照りはおさまらない。 「何か変な病気にでもかかったのかなあ」 と思った時だった。 ぼくはあることに気がついた。 その日は朝から鬱ではないのだ。 「もしかして治ったんかなあ」と思い、あることを試してみた。 ぼくはある悩みに囚われたり、縛られたりして、鬱状態になっていた。 もし治っているとすれば、その悩みに囚われたり、縛られたりすることはない、と思ったわけである。
さっそく悩んでみることにした。 すると、不思議な現象が起きた。 その悩みが、頭の中からストンと例のヘソ下の火照りのところに落ちてきて、悩みを燃やしてしまったのだ。 燃え尽きた悩みのあとには、燃えかすだけが残っていた。 つまり、悩みという記憶だけが残っているということである。 何度やっても、その都度悩みはヘソの下で燃やされる。 およそ一時間後、ようやく疑い深いぼくの心は、鬱状態から脱出を認めた。 それまでがひどい状態だっただけに、その時の喜びといったらなかった。
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