| 2005年09月26日(月) |
延命十句観音経霊験記(3) |
その本には、この短いお経を唱えて起きた奇跡の実例が書いてあった。 が、奇跡とはいうものの、何も突飛なことばかり書いているわけではない。 精神的な病から救われたとか、ものの見方が変わって幸福を得たような話も書いてある。 いや、どちらかというと、眉唾物の話より、そちらの方に重点が置かれているような気がする。
そこにはこの経の実践法なども書かれているのだが、このお経の真理を追究しろなどといった難しいことは一つも書いていない。 書いているのは、ただ不断にこの経を唱えろということだけである。
その宗旨が知りたいという人や宗教マニア以外、宗教書を好んで手にする人などほとんどいないだろう。 もしいるとしたら、それはかつてのぼくのように、精神的に追いつめられている人だけではないのだろうか。 そういう人は藁をもつかむ思いでその本を手にしたはずだから、当然物事を論理的に追求する余裕など持ってないだろう。 もちろん、白隠禅師もそれを見越していた。 それゆえに、不断にこの経を唱えろとだけ言ったのだと思う。
とにかく、2ヶ月も鬱状態が続き、いよいよ追いつめられた感のある、ぼくの精神状態である。 それまで自分なりにいろいろ手を尽くしてみたが、改善のきっかけすら見えてこない。 そんな時に、このお経が目の前に現れたのだ。 先に、ページの折れた部分が矢印に見えて、その先にこのお経があったと書いたが、そのこと自体、妙に霊験めいた気がする。 「今はこれを信じるしかない」 そう思うに至ったぼくは、このお経に賭けることにした。 ということで、その日から十句経三昧の生活が始まった。
その翌日、早くも最初の霊験が訪れた。 仕事中にその経を口の中で唱えていると、急に眠くなってきた。 よくある睡魔というものではない。 これ以上目を開けていられない状態になったのだ。 仕方がないので、ぼくは休憩室に行き、少し横になることにした。 目が覚めてみると、頭の中がすっきりしている。 けっこう長く寝たような感じがしていたのだが、時計を見ると、まだ10分ほどしか経過していない。 これで充分だと思い、ぼくはまた仕事場に戻った。 それからしばらくして、あることに気づいた。 精神状態が、鬱ではないのだ。 といって、躁の状態でもない。 以前のような、普通の精神状態に戻っているのだ。
ちょっと寝たことがよかったのだろう。 そのことがあって、「もしかしたら、ぼくの鬱状態というのは、多分に寝不足が影響しているのではないか」と、ぼくはその時思った。 「きっと、十句経を唱えたことで、本来の自分が目覚め、その時点で一番必要なことをぼくにさせたのだ」 そう思うことにした。
|