| 2005年09月24日(土) |
延命十句観音経霊験記(1) |
昨日、お寺に行った時のこと。 納骨堂の中で、伯母が突然“般若心経”を唱えだした。 最初は中央に鎮座していた大日如来像の前で、次に墓の前で大きな声で唱えているのだ。 その納骨堂は狭く、その声は堂内に響いた。 堂内には他の参拝客もいたのだ。 ぼくたちは、静かに参拝しているその人たちへの申し訳なさと恥ずかしさで、納骨堂にいる間ずっと下を向いていたのだった。 とはいえ、そのお寺には、般若心経を唱えたらいけないという決まりはない。 逆に、般若心経を知っているだけでも、「感心感心」と褒めてくれるだろう。
ところで、ぼくは二つのお経を唱えることが出来る。 一つがこの“般若心経”で、もう一つが“延命十句観音経”というお経である。 そのどちらとも黙読で覚えたものではなく、声を出して、つまり体で覚えたものだから、このお経を聞くと、すぐに体が反応してしまう。 昨日は、赤面して下を向いていながらも、気がつけばぼくも小さな声で、伯母に合わせて唱えていたのだった。
ぼくがこれらのお経を覚えたのは、昭和61年だった。 20代後半のこの年に、ぼくは精神的に病んでいたことがある。 あることに悩みを持ってしまい、それから抜けられなくなったのだ。 それが極まって、鬱に近い状態にまで陥ってしまった。 朝から心が晴れず、ちょっとしたことで沈みがちになり、すぐに自分の殻に閉じこもってしまうのだ。 自然、人と接触することも避けるようになった。 一日のうちで心が晴れるのは、風呂に入っている時だけだった。 風呂から上がって、寝るまでの間はその状態が続いているのだが、朝になるとまた心が暗くなった。
こういう状態が3ヶ月近くも続いたのだ。 とはいえ、その間、何もせずに手をこまねいていたわけではなかった。 「何とかしなければ」と思っていたのだ。 そのためにいろいろな本を読み、その解決法を模索した。 それは思想書であったり、自己啓発書であったりした。 が、そういう本で心の状態は改善しなかった。
こういう場合、人に相談すれば少しは気が楽になるのだろうが、人と接触するのが嫌になっていたから、相談する気にもならない。 たまに、ぼくのそんな状態を見かねて、「どうしたんか?困ったことがあるんなら相談に乗るぞ」と言ってくれる人もいた。 しかし、その心の状態を上手く説明できないのだ。 そのことがまた、心を暗くしていった。
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