うちの店の薬局に、週一回、応援の薬剤師の先生が入っている。 女の先生で、ぼくはその名前から『よしこ先生』と呼んでいる。 あまり年を感じさせない方で、年はぼくより二つ上だが、ちょっと見は30代に見える。 おしゃべり好きで、いつも誰かとおしゃべりをしている。 その内容は少女っぽく、あまり世間ずれしてないようにも感じる。 家は代々薬局をやっているそうで、けっこうお金持ちだというから、よしこ先生はきっとお嬢様育ちなのだろう。
そういうお嬢様を見ていると、意地悪なぼくは、無性にからかいたくなってくるのだ。 そこでぼくは、よしこ先生が来ている時だけ、普段はあまり出入りしてない薬局に足繁く通うようになった。
「よしこ先生、おはようございます」 「おはよう、しんちゃん」 「えっ?おれ、“しんちゃん”じゃないですよ」 「えっ、“しんちゃん”というんじゃないと?」 「違いますよ」 「だって、みんな“しんちゃん”って呼んでるじゃない」 「ああ、あれはぼくがホームページで“しんた”と名乗っているからですよ」 「じゃあ、本名は何というと?」 「“タカシ”です」 「へえ、“タカシ”というと」 「実はこの店、不思議と“タカシ”という名前が多いんですよ」 「そうなん」 「店長以下5人もいるんですよ」 「えっ、5人も同じ名前なん」 「そうなんですよ。よく人から“5人タカシ”なんて呼ばれてます」
タカシというのは店長の名前である。 よしこ先生をからかう材料として、ちょっとそれを使わせてもらったわけだ。 しかし、事務所にネームプレートがあるから、ちょっと調べれば『5人タカシ』なんて嘘だということがすぐにわかることである。 ところが、よしこ先生はそれをせずに、素直にぼくのいうことを信じてしまった。 そして、ことあるごとに、ぼくを「タカシくん」と呼ぶようになったのだ。
ある日のこと、よしこ先生が事務所で店長と話をしていた。 そこに、たまたまぼくが入っていった。 よしこ先生はぼくを見つけると、「あっ、タカシくん」と言った。 店長は変な顔をして、よしこ先生を見ていた。 「まずい!」と思ったぼくは、知らん顔をしてその場を立ち去った。
後でよしこ先生が、「あの時何で無視したと?」と聞いてきた。 「店長もタカシなんですよ」 「店長もタカシ…??」 「そうですよ、前に“5人タカシ”と言ったでしょ」 「ああ、そうやったねえ」 「まずいですよ」 「えっ、何でまずいんかねえ?」 「だって、店長の前で“タカシくん”とか言ったら、店長は自分のことを言われてると思って、『先生はおれに好意を持っとる』と勘違いするかもしれんじゃないですか」 「あっ、そうか!それはまずいよねえ」 「だから、同じ名前が多いと困るんですよ」 「そうよねえ。困るよねえ」 それ以来、よしこ先生は、薬局以外でぼくのことを「タカシくん」と呼ぶことはなくなった。
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