| 2005年09月02日(金) |
歌のおにいさん(12) |
とはいえ、歌を捨てたわけではなかった。 歌うことに冷めただけで、『歌』そのものには関心を持っていたのだ。 その頃から、真剣に音楽を聴くようになった。 クラシックであろうが、演歌であろうが、とにかく自分がいいと思ったものはどんなものでも聴いた。 それと同時に、言葉に目を向けるようになった。 歌詞だけではもの足らず、詩の世界にまで踏み入ることになった。 何のためにそういうことをやったのかというと、もちろんオリジナル曲作りのためである。
修学旅行の時、『落陽』を初めて聴いたという友人から、「この歌、しんたのオリジナル?」と聞かれた。 ぼくが「これは拓郎の歌。おれがこんな曲作れるわけないやん」と言うと、友人は「ああ、拓郎の歌ね。素人っぽい歌やけ、てっきりしんたのオリジナルかと思った」と言った。 その時ぼくは『真剣に目立とうと思ったら、人の歌なんかでなく、自分の歌でなきゃだめだ』と思ったものだった。 それまでのオリジナル曲は、余興的なものばかりで、とても人に聞かせられるようなものはなかった。 だが、友人の言葉で目覚めてから、ぼくは『人に聞かせられるオリジナル曲』を目指して、歌作りに取り組むようになったのだ。
しかし、あまり曲作りに没頭したため、人付き合いも下手になり、3年の時のクラスではほとんど孤立していた。 そのため、教室ライブもやらなくなった。 いつだったか、音楽の時間に歌唱テストをやったことがあるのだが、その時初めてぼくの歌を聴いた人が多く、2年までのぼくを知らない女子なんかは、「しんた君、歌、うたえるんやねえ」などと言っていた。
ぼくが歌わなくなった理由は、そればかりではない。 高校時代に作った歌は、『人に聞かせられるオリジナル曲』にはほど遠いものばかりだった。 だから歌えなかった、というのもある。 いずれにしても、ぼくはその当時やっていたバンドの中以外では歌わなくなったのだった。 その状態は、東京に出るまで続くことになる。
さて、東京に出てからだが‥‥。 あっ、このことはまた後日書くことにしよう。 ちょっと長くなりすぎた。
最後に、高校3年の時にバンドでやっていた、『かげろう』という歌を紹介しておこう。 高校時代に人前で歌った最後の歌だ。 この歌は、バンドメンバーの一人だったTsuchi君という人が書いた詩に、ぼくが曲をつけたものである。 後年Tsuchi君と二人で飲んだ時に、この歌を歌ったことがある。 「Tsuchi、この歌覚えとる?」と言ってぼくが歌うと、YSは「知らん。誰の歌?」と言う。 「この歌の作詞者知らんと?」 「うん、知らん。誰?」 「この歌の作詞者はねえ、Tsuchi」 「えっ…!?」 「もういっぺん歌おうか?」とぼくが言うと、Tsuchi君は「…、いや、もういい」と照れて言った。 それを見て、ぼくは「覚えてない」というのは嘘だと思った。 覚えてないなら、照れることもないだろうからだ。
その後も何度かいっしょに飲む機会があったのだが、ぼくがその歌を歌おうとすると、「しんた、もういい。やめてくれ」と言うのだ。
よほど触れられたくないことが、この『かげろう』の歌詞の中に隠されているのだろう。
『歌のおにいさん1部』、おしまいです。
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