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2005年09月01日(木) 歌のおにいさん(11)

修学旅行中、かなり歌を歌ったが、一番ウケがよかったのが、拓郎の『落陽』だった。
初日にそれを歌ったので、2日目は他の歌を歌おうと思っていたら、「しんた、落陽歌って」とリクエストがかかった。
そこで『落陽』を歌うと、また数時間後に「落陽歌って」とリクエストが入った。
旅館でも「落陽歌え」と言われるし、修学旅行中、いったい何度『落陽』を歌っただろうか。

そして、いよいよ最後の日、バスが新大阪駅に着く前に、「しんた、最後に『落陽』歌ってくれ」と言われ、修学旅行最後の落陽を歌うことになった。
ところが、ぼくがかなりこの歌を歌ったせいで、クラスの連中はみなこの歌を覚えてしまい、バスの中は『落陽』の大合唱となったのだった。
ということで、中学の修学旅行は大失敗だったが、高校の修学旅行は大成功だった。

ところで、どちらの修学旅行も、同じバスの中に『初恋』の君がいた。
中学の時は、ぼくが下手だったので、彼女は見向きもしなかった。
高校の時は、その頃の彼女が男女関係のもつれに悩んでいたこともあって、同じく見向きもしなかった。
まあ、高校時はぼくが彼女に感心がなくなっていたし、彼女を意識して歌ったわけでもないから、聞いてもらわなくてもどうということはなかったのだが、もし高校時代の修学旅行のような成功を中学時代に収めていたとしたら、はたしてどうだったろうか?
もしかしたら、『初恋』の君はぼくになびいていたかもしれない。
そして、高校に入ってからもつきあいが続いていたかもしれない。
しかし、中学時代に失敗しておいてよかった、とぼくはその時思ったものだった。
もし、中学時代に成功していたら、それに満足して、ギターを弾くこともなかっただろうからだ。
仮にギターを弾いていたとしても、『月夜待』の君に関心を寄せることもなかったはずだから、オリジナル曲作りに目覚めていたかどうかもわからない。

今でもその思いはあり、もし中学の修学旅行で成功していたら、オリジナル曲はもちろん、今こうやってホームページをやっていることもなかっただろう。
今でこそ日記中心になっているが、元々はオリジナル曲発表の場にしたくて始めたホームページである。
それゆえに、オリジナル曲がなかったら、ホームページを起ち上げなんて思っていなかったに違いない。

さて、修学旅行が終わったあたりから、ぼくはだんだん人前で歌わなくなっていった。
これは修学旅行で燃え尽きてしまったからだ。
「歌で目立つ」、それが当初の目標だったから、それが達成すると
、急激に歌に対する思いが冷めていったというわけだ。
それまでは寝ても覚めても拓郎だったのが、それ以降はどうでもよくなってきた。
その証拠に、それ以降社会に出るまで、ぼくは拓郎のレコードを買っていない。


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