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2005年08月29日(月) 歌のおにいさん(8)

拓郎の歌を歌っていくうちに、だんだん物足りなさを感じてきた。
ただ歌うでは面白くなくなってきたのだ。
やはり、拓郎をやるなら、ギターは必須である。
ギターがあってこそ拓郎の歌は生きてくる。
また、ギターがあれば、以前からの夢であったオリジナル曲も作ることが出来るだろう。

だが、そのギターがない。
そこで親にギターを買ってくれと頼んでみた。
が、「そんな金はない」と一蹴されてしまった。
こうなればアルバイトしかない。
当時、ぼくたちの学校では、アルバイトは禁止されていた。
とはいえ、そういうのは無視すれば何とかなる。
ということで、何件かアルバイト先を当たってみた。
ところが、それらはすべて夕方のバイトだったため、放課後クラブ活動をやっていたぼくには到底出来ない。
せめて日曜日だけでもということで探してみたが、そういうバイトは見つからなかった。

ところが、歌の神様は、そこでぼくを見捨てなかった。
ある日、親戚から電話がかかった。
使ってないギターがあるから、それをあげると言ってきたのだ。

なぜ親戚の人が、ぼくがギターをほしがっているのを知っていたのかというと、実はぼくのいとこがクラスの女子の家(花屋)で働いていた。
いとこは、その子にいろいろとぼくのことを話したり聞いたりしていたらしいのだ。
それで、ぼくがギターを欲しがっているというのを知ったというわけだ。

さて、ギターを手に入れてからのぼくは、一日中ギターのことばかり考えていた。
そのため、一時的に教室ライブをやらなくなり、代わりに箒を手にギターコードの練習をするようになった。
もちろん家に帰れば、寝るまでギターの練習をやっていた。
その甲斐あって、ギターを手に入れてから2週間後には、下手なりにも何とか一曲の弾き語りが出来るようになった。
その歌は、拓郎の『こうき心』という歌だった。
何でこの歌だったのかというと、コード進行が比較的簡単で、FやBといった難しいコードを使わなくてすんだからだ。

『こうき心』が出来るようになって、再びぼくの教室ライブは復活した。
箒を抱えて、『こうき心』を歌うのである。
せっかくギターが手に入ったのだから、ギターを持ってきてやればよかったのだが、やっとAmを覚えたばかりの素人のぼくには、ギターを持ってくるなどという勇気はなかったのだ。

その後は、拓郎を聞き始めた頃と同じように、一曲弾けるようになると、箒を抱えて教室ライブをやるようになった。
箒を抱えるという姿がおかしかったのか、見ている奴らは笑っていた。
が、ぼくはけっこう真剣だった。
なぜなら、箒をギターに見立てて、イメージトレーニングをやっていたわけだからだ。


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