| 2005年08月27日(土) |
歌のおにいさん(6) |
デビューの曲目を決めた日、ぼくは例のごとく押し入れにこもって、その歌を練習をした。 そして次の朝、教室に入るなり、その歌手を真似て、いやらしくその歌を歌った。 みんなの視線がぼくに集まった。 「誰、あの人?」 「H中出身の、しんたという人らしいよ」 「変な人やね」 歌っている最中、そんな声がぼくに聞こえてきた。 が、ぼくはそんな声を無視して歌い続けた。
ということで、その作戦は見事に成功した。 クラス中の人がぼくの存在を認め、ぼくのイメージは「暗い人」から「面白い人」に変わった。 もちろん『月夜待』の君も、ぼくの存在を知ることになった。
さて、その歌はいったい何だったのか? 勘のいい人なら、もうおわかりだと思うが、その歌は、ぴんからトリオの『女のみち』である。 言わばこの歌が、『月夜待』の君に捧げる最初の歌となったのだった。
その日から、ぼくは毎日歌を歌い続けた。 そのたびに注目度は増してくる。 『月夜待』の君も、ぼくに関心を持ったようで、時折声をかけてくるようになった。 そのたびにぼくはバカをやっていた。 もちろん本気でバカをやっていたわけではない。 照れ隠しである。
さて、毎日歌を歌ってはいたものの、いつまでも『女のみち』を歌っていたわけではない。 歌本を持っていっては、知っている歌を片っ端から歌っていたのだ。 それを続けていくうちに、ぼくの中である変化が起きた。 最初は目立つために始めた歌だったが、そのうちそれが癖になってしまい、歌わないと落ち着かなくなっていたのだ。 休み時間はもちろんのこと、授業中も自然に歌が出てくるようになっていた。
そんなある日のこと、ぼくはひとつの武器を手に入れることになった。 人生最大の武器といってもいいかもしれない。 その武器とは、『吉田拓郎』である。 いつものように家に帰ってFMを聞いていると、ちょうど吉田拓郎の特集をやっていた。 最初は何気なく聞いていたのだが、そのうち身を乗り出して聞くようになり、ついにぼくの体中は拓郎でいっぱいになった。 拓郎洗礼の瞬間である。 とにかくすごい衝撃だった。 放送が終わった後も、拓郎の歌がずっとぼくの中で鳴り響いていた。
拓郎の何に衝撃を受けたのかというと、その歌詞であり、その曲である。 彼は決して歌が上手い方ではない。 だが、彼の歌を聴くと、そんなものどうでもいい、という気がしてくるのだ。 妙に説得力のある歌いっぷりは、『自分の作った歌』、という誇りからくるものなのだろう。 「やはり、オリジナルだ」と、ぼくはその時漠然と思ったものだった。
とにかく、その翌日から、ぼくは他の歌を一切歌わなくなった。 そう、拓郎オンリーになったのだ。
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