| 2005年08月26日(金) |
歌のおにいさん(5) |
とはいえ、すぐに歌を歌ったのではなかった。 ぼくは、どちらかというと人見知りする質なので、すぐにその場にとけ込むことが出来ない。 そのために、入学後すぐにあった歓迎遠足で、歌本を用意していたのにもかかわらず、歌うことをためらった。 歌を歌うというのは、ただでさえ勇気がいるものである。 それを、知らない人の前で歌うなんて、当時のぼくにはとても出来なかった。
理由はもう一つあった。 高校入学の翌日に、中学時代の友人が自殺するという事件があった。 ぼくにとって、事件のショックはかなり大きなものだった。 そのせいでふさぎ込んでしまい、とても歌う気になんかなれないでいたのだ。
さて、入学して3週間が過ぎた。 クラスにようやくまとまりが出てきた頃である。 だが、ぼくはまだ友人の死のショックから立ち直れないでいた。 親しい友人も出来ず、一人黙りこくっていたのだ。
その反面、焦りもあった。 その状態のままだとクラスに取り残されていき、暗い人だというイメージを持たれてしまう。 そういう人で1年間、いや3年間を過ごすのはまっぴらである。
そこでぼくは一大決心をした。 暗いイメージを完全に払拭するために、ある手段を採ることにしたのだ。 それは言うまでもなく歌を歌うことだった。 歌で目立とうと思ったわけである。
「どうせやるなら、一発で決めてやる!」 そう思ったぼくは、さっそく選曲に取りかかった。 すでに暗い人と思われているかもしれないので、中学時代の『赤色エレジー』はいただけない。 やはりここは、その時点のヒット曲に限る。
その頃のヒット曲といえば、あのねのねの『赤とんぼの唄』だった。 だが、押し入れで練習した声に、この歌は似合わない。 しかも、当時は誰もが歌っていた歌なので、インパクトが弱い。 ということで、他の歌を探すことにした。 ある程度歌唱力がいって、歌としても面白く、さらに誰でも知っている歌。 それらの条件に見合う歌を、ぼくは必死に探した。 そして、ようやくそれを見つけた。
その歌は演歌だった。 それゆえに、ある程度の歌唱力は必要になってくる、つまり押し入れ練習が生きるのだ。 また、その歌を歌っている人の顔も声も独特だった。 そのため、インパクトは充分だった。 しかも、発売されて1年近く経つのに、まだ根強い人気を誇っていた。 知名度は充分である。 それに加えて、当時の高校生が歌うような歌ではなかったから、意外性も充分だった。
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